2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

区境で途絶える道路

写真1 歩道 写真2 ブロック塀 まず写真1,2をご覧ください。どこが区境か申すまでもないと思います。スパッと分断された歩道、そしてその延長線上にまっすぐ続くブロック塀。左側が中野区、右側が練馬区です。 写真3 区境で途絶える道路 写真4 細い道路から見…

中野区と練馬区の境目の路地

今回は中野区と練馬区の間の路地です。 ●第一区間別に公式に定められているわけではないのですが、便宜上3つの区間に分けます。 写真1 第一区間北口遠景 写真2 北口 ごく普通の道路(しかしすでに区境)を進みます。第一区間の北口です。中野区(右)の家の表札…

区境の原風景

何だかよくわからないタイトルを付してしまいましたが、いかにも区境らしい風景を掲載します。ここ数回、長い説明の記事が連続しましたので、今回は説明を最小限にします。中野区と練馬区の区境風景をお楽しみください。 写真1 区境につき、止まれ 写真2 中…

区画整理に伴う区境跡

世の中には、線路が消えたあとの線路跡(廃線)、道路が消えたあとの道路跡(廃道)などをたどる趣味分野があります。それと似たような話で、境目が消えたあとの境目跡をたどるという分野もあります。一般的に「○○跡」趣味者は「○○」趣味者よりも少ないものです…

とくでん 徳田 徳殿

中野区と練馬区の区境になっている江古田川をさかのぼっていくと、下徳田(とくでん)橋の交差点に出ます。下徳田橋交差点より上流の江古田川は暗渠になり、遊歩道として歩けるようになっています。区境そのものを歩けるわけで、私としてはたいへんありがたく…

江古田 えごた えこだ

江古田をどう読むかはあちこちで取上げられていますが、大ざっぱに「中野区:えごた 練馬区:えこだ」となっており、下記の経緯があるようです。 (1)現在の中野区に江戸時代以前から江古田(えごた)という地名があった。 (2)1922年に武蔵野鉄道(現在の西武池…

ここから中野区

地図をよく見ると、意外な区どうしが接していたりするものです。中野区は新宿区の西側で、その他三方を渋谷区、杉並区、練馬区に囲まれている…という程度の認識だったのですが、実は豊島区とも接していました。豊島区との区境長さは約100m。 ということで、…

かわいいクリスマスツリー

台東区役所最寄りのJR駅に飾られているクリスマスツリーです。パンダツリーと称した方が良い感じですね。 最近は各種SNSに投稿されることを期待して「撮って撮って!」という感じのものが多いように感じます。飾りつけに関してもかなり細かい神経を使ってい…

定期券有効期限の年表示

先日定期券を購入しましたが、自動券売機から出てきた定期券の有効期限の年表示を見てあれっと思いました。写真1のように西暦表示になっていたのです。「以前は元号表示だったはず…」と思いましたが、文字は書き換えられてしまって確認できません。 帰宅して…

資料の製本

集めた資料は一時的に2穴ホルダに入れておくことが多いのですが、よく見る資料を半永久的に保存しておきたい場合は製本してしまうことがあります。ホットメルト式の簡易製本機が市販されているのでそれを使えば楽なのかもしれませんが、手作業でものを作るこ…

鉄道連隊線路跡(津田沼の先)

鉄道連隊の線路跡はまだまだ千葉の方まで続きます。いったいどれだけの施設・設備を所有していたのか…という感じです。 京成電鉄の大久保駅付近までは歩いているのですが、私の調査が不十分なので、代表的な写真を掲載するだけで終わりにします。雰囲気だけ…

鉄道連隊線路跡(二和西地区-二和向台駅)

船橋市に入ってから鉄道連隊の線路跡は一直線に進みますが、途中で道幅が半減すると共に若干左側にそれます(写真1)。申すまでもありませんが、この先は道の右側の家の列が線路跡になります。途中には写真2のような「いかにも」といった場所が数多く見られま…

鉄道連隊線路跡(南鎌ヶ谷地区-二和西地区)

橋脚跡の先は、再び鉄道連隊線路跡を利用した道路です。もうこの先たいしたものはなさそうだと思いながら歩いていたのですが…数多くの「物件」が密かに自己主張していました。 写真1は「埋没物件」の例です。コンクリートブロックに囲まれたために無理がかか…

鉄道連隊線路跡(アカシヤ児童遊園)

鉄道連隊線路跡の中でも特に有名な遺構です。このあたりは谷になっており、そこを通過するために橋を架けたようで、4本の橋脚・橋台が残っています。コンクリート製ですがていねいな作業をしたようで、実にしっかりとしています。 ところでこの公園、現在は…

鉄道連隊線路跡(東道野辺地区)

東道野辺地区の中新山交差点付近で左に曲がると目に留まったのが陸軍の境界標(写真1と2)です。 数10m先にも同様の境界標(写真3)がありますが、銀色です。家に帰ってから4年ほど前の状態(写真4)を確認したら、塗装されていませんでした。目立つように最近銀色…

鉄道連隊線路跡(富岡地区-東道野辺地区)

前回、「新京成電鉄の松戸駅-五香駅に限ると線路跡流用率は2割弱」と記しましたが、五香駅からはずっと「新京成電鉄=鉄道連隊線路跡」のままで初富駅に至ります。 鉄道連隊の線路跡が新京成電鉄から分かれるのは、初富駅から800mほど走ったところ(写真1)で…

鉄道連隊線路跡(金ヶ作地区-五香駅)

松戸市に入るとパチンコ屋の駐車場(写真1)になり、線路跡は全くわかりません。しかし、その先線路跡は民家の列になります。航空写真を見るとはっきりわかります。写真2の左側が線路跡です。 この先100mほどは区画整理で消滅していますが、再び線路跡が現れま…

【鉄道連隊線路跡(柏市内)】

地図を見ると新京成電鉄は柏市を通っていないので、鉄道連隊の線路跡も同様だろうと勝手に思い込んでいたのですが、実は600mほど柏市内を通過するんですね。 写真1は松戸市から柏市に入るところで、線路跡の上に民家がきれいに並んで建っています。ここにお…

【鉄道連隊線路跡(栗ヶ沢地区)】

このあたり、区画整理されて全く線路跡の位置がわからなくなっているところがあり、位置特定に相当手間取りました。「こんな苦労して何の役に立つんだろう?」と自問自答しながら歩きました。趣味の道は時として仕事以上に大変だったりしますが、だからこそ…

【鉄道連隊線路跡(金ヶ作地区-栗ヶ沢地区)】

金ヶ作地区から栗ヶ沢地区に入っていくと、鉄道連隊の線路跡がどこなのかわからなくなってきます。実はこの先、再び金ヶ作地区に戻って来るまでの約1kmの区間に関しては特にむずかしく、数年間に渡って何度か現地調査する必要がありました。写真の撮影年月も…

【鉄道連隊線路跡(常盤平駅-金ヶ作地区)】

タイトルに常盤平駅と記しましたが、厳密に申すと新京成電鉄の常盤平駅は鉄道連隊の線路跡ではありません。線路跡は駅のすぐ近くなのですが、きれいに区画整理されて何も残っていません。 区画整理された地域を抜けて金ヶ作地区に入ると鉄道連隊の線路跡が現…

【鉄道連隊線路跡(八柱駅-常盤平駅)】

この区間は緩い曲線で、そのまま新京成電鉄の経路としても問題なさそうですが、新京成電鉄は100mほど東側に線路を新設しています。 このあたり、新京成電鉄の西隣にぴったり並行する道があるのですが、調べてみると明治の頃から同じ位置に存在していました…

【鉄道連隊線路跡(八柱駅付近)】

新京成電鉄の八柱駅付近は鉄道連隊の線路跡にそのまま標準軌の線路が敷設されています。それでは遺跡が何もないかというと…「つまづきそうなもの」が残っています。 写真1は八柱駅付近の踏切ですが、よく見ると写真2のように「陸軍」と文字が刻まれた境界標…

【鉄道連隊線路跡(上本郷駅-八柱駅)】

新京成電鉄の上本郷駅と八柱駅の間は、そのほとんどが鉄道連隊の線路跡ではなく、新規に建設された区間です。 写真1は、上本郷駅から400mほどのとろで新京成電鉄の線路から鉄道連隊の線路跡が右奥へ分岐するところです。 写真2は、分岐した先から新京成電鉄…

【鉄道連隊線路跡(松戸の支線:後編)】

写真1は前編に出てきたベージュ色の建物です。この建物自体が線路跡に建っていますが、そこからゆるやかに曲線を描きながら線路跡道路が続きます。 写真2の道路は、いかにも…という感じですね。 この先まっすぐ線路跡の道路が続きますが、写真3のように道が…

【鉄道連隊線路跡(松戸の支線:前編)】

戦前の地図より、支線は上本郷駅南方約300mのところで分岐して大きくクランク状に曲がりながらJR松戸車両センターの方へ続いていたことがわかります。しかし、戦後1956年に米軍が撮影した航空写真では、胡録台と称する地域は区画整理されており、矩形の畑の…

【鉄道連隊線路跡(松戸駅付近-上本郷駅)】

今回は陸軍工兵学校跡付近から新京成電鉄上本郷駅までです。陸軍境界標などの明確な遺跡は残っていませんが、路盤は道路として転用されていて、歩くことができます。 ◇ ◇ ◇ 写真1は松戸一中(陸軍工兵学校跡)の近くです。昔の航空写真から、右奥に向かう道路…

【鉄道連隊線路跡(松戸駅付近)】

新京成電鉄が鉄道連隊の線路跡を利用して建設されたという話は有名です。しかし新規に建設された区間も意外と多く、そのため新京成電鉄沿線には鉄道連隊線路跡がたくさん存在します。そこで、この線路跡に関して少しずつ掲載しようかと思います。 ◇ ◇ ◇ タイ…

丸ノ内線はサンシャイン60通りの先どこを走っているか

丸ノ内線は池袋駅を出るとサンシャイン60通りの下を走ります。そして春日通りに入っていくのですが、サンシャイン60通りは春日通りまでつながっていないため、道路下以外の場所を走ります。その経路はYahoo!地図、Mapion、Googleマップに記載されていますが…

丸ノ内線は鎌倉橋の下を走っているか?

大手町のビジネス街と神田の下町を隔てる日本橋川(外堀川)。そこに架けられている橋のひとつに鎌倉橋(写真1)があります。Yahoo!地図、Mapion、Googleマップ等を見ると、丸ノ内線がこの橋の真下を南から北に向かって一直線に走っているように記載されています…