2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
鉄道車両の「車体幅」というのは具体的にどこを指すのか、今ひとつよくわからない定義です。それに対して「最大幅」ははっきり定まるのではないか…と思いたいのですが、この車両の場合は最大幅がよくわからないのです。まあ、昔の車両に関してはこんなもんだ…
この車両は荷台があることが特徴ですが、実はこの荷台、ねじれていました。 図1 車両の前後と①~④位 以下、同じような写真がたくさん並んでいますので、まず部位を整理しておきます。 車体は前後対称ですが、ちゃんと「前」「後」があります。これらは図1の…
地方私鉄には、国鉄車両にはない特徴を有する車両たちがいたものです。今回は「旗差し」ではないかと思われる部位に関してです。 写真1 筑波鉄道キハ541 写真1は筑波鉄道キハ541ですが、おでこの左右に何やら付いています。 写真2 拡大 写真2は拡大写真です…
今回は、北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541に関する内容ですが、題に記した通り「台車の形式が重複していた」というお話です。 台車に限った話ではありませんが、国鉄や一部の私鉄を除くと、機器の形式はそれを製作したメーカが自ら定めます。今回の例では、…
昔、能登半島には「能登線」と称する路線が2本ありました。1本目は「国鉄能登線」です。区間は穴水-蛸島で、途中に恋路という素敵な名称の駅がある路線でした。国鉄→JR→のと鉄道と運営の母体が変わり、消滅しました。 2本目の能登線は「北陸鉄道能登線」です…
江若鉄道とか筑波鉄道とか、世間一般ではおそらく知らないことが当たり前の鉄道の、さらに地味な特定の1両だけに関していろいろ記してきました。鉄道という分野を海に例えれば、日本海溝の奥底に転がるひとつの岩に関して書いているようなものです。 日本海…
昔の地方私鉄には素性のよくわからない車両がかなり存在しました。江若鉄道のキハ30もその一例です。この車両は大鉄車輌工業で1963年に「新製」されたということになっています。しかし、実際に新製した部位はどこなのか、今ひとつよくわかりません。謎を残…
筑波鉄道キハ511の台車は江若鉄道キハ30新製当初からのものです。では台車も新製されたかというとそうではありません。江若鉄道キハ30が新製されたのは1963年ですが、台車はなんとTR29です。これはもともと国鉄キハ42000形用として設計された台車で、製造初…
1963年、江若鉄道キハ30として新製された当初は床下に排気管が走り、車端部から立上がって屋根上に排気されていました。 図1 床下排気管経路 図1は当時の写真を基に床下排気管の経路を示したものです。ディーゼル機関の脇に消音器があり、そこから延々と排気…
江若鉄道C29M形キハ30として1963年に新製されてから筑波鉄道キハ511となるまでの前頭部変化をまとめてみました。 図1 江若鉄道キハ30(新製当初) まず図1は、新製当初の姿です。貫通扉の上部に幌つりを取付ける座がありますが幌も幌座もありません。向かって…
写真1 落合南長崎駅付近 写真1は、前回と同じく都営地下鉄大江戸線落合南長崎駅付近の空中写真です。今回は③~⑤を追記しました。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。 写…
一般的に、連続した内容を2回に分けて記す際は「上・下」とするものですが、地図に関して「上・下」だと「北・南」という感じになります。しかし、今回と次回は落合南長崎駅の「東・西」に関してなので、「右・左」としました。 写真1 落合南長崎駅付近 落合…
写真1 区境付近の空中写真 このあたりは、お屋敷と庶民の居住地が境目になっています。写真1の上方(北)の東京大学は広島藩浅野侯爵邸の跡、下方(南)の東京大学は加賀藩前田侯爵邸の跡です。この間はちょっとした窪地になっていて、明治時代には東京共同射的…