2018-11-16から1日間の記事一覧

イオンレイクタウン

日本最大のショッピングセンターだそうです。 武蔵野線の越谷レイクタウン駅北東に広がるイオンレイクタウン。店舗面積245,223m2…と言われても全然ピンとこないのですが、店舗が正方形と仮定すると一辺の長さ495m(=√245,223m2)となります。「約500m四方すべ…

杉並区、世田谷区、三鷹市の境目

杉並区の矩形突出部にスポンとはまっている学校の話を以前しましたが、今回は堂々と杉並区&三鷹市にまたがっている学校の例です。 写真1は境目を渡る空中廊下です。中を歩いている人がいます。ちょうど今、境目を通過したところでしょうか。美しい光景です…

杉並区と三鷹市の境目さまざま

写真1は、杉並区の民家の真新しいコンクリート階段が三鷹市の大谷石にぴったりと接している様子です。大谷石は鉛直ではなく若干斜めに積み上げるものですが(道路に面している法面は若干斜めになっていますが)、杉並区との境目は鉛直に切り立っているように見…

タイル貼りの階段がある境目

境目は多くの場合「街外れ」という雰囲気のところが多く、その結果比較的殺風景になりがちなのですが、今回の境目はなかなか素敵です。タイル貼りの階段、井の頭線の踏切…。 神田川沿いの「この先行き止まり」は、いかにも…という感じですが。

杉並区西端の形の謎

境目を歩いていると「なぜこんな形なんだろう?」と不思議に思うことがあります。 23区と多摩地区の境目を南下してくると立教女学院の北東角近くにぶつかります。境目は立教女学院の敷地を突っ切り、三鷹台駅付近で井の頭線と交差し、神田川まで南下したとこ…

23区と多摩地区の境目

ごくありふれた2枚の街の風景ですが、ここが都内(23区)と多摩地区の境目です。写真1から写真2までほぼ一直線で約1.3kmあります。 今から100年ほど昔の地図を調べてみました。このあたり、五日市街道沿いに短冊状の桑畑や果樹園が続いていたことがわかります…

善福寺池周囲の区境(後編)

東京西部の武蔵野台地は東京湾に向かって緩やかに下り勾配となっており、途中に地下水が湧きだしているところが何か所かあります。そのひとつが善福寺池で、善福寺川の水源となっています。 前編で、明治時代の村の境目が現在の区境になっている旨記しました…

築地市場→豊洲市場

10月6日を以って閉鎖された築地市場ですが、11日の豊洲市場使用開始に先立ち引越しの真っ最中です。写真1は豊洲市場の建物ですが、こうしてみると空港のターミナルビルと見分けがつきません。ピカピカです。 写真2は、6年ほど前にゆりかもめから撮影したこの…

善福寺池周囲の区境(前編)

善福寺池付近の区境(杉並区-練馬区)は、池を中心とした半径3~400mの半円形です。明治時代の地図と比較すると、井荻村と石神井村の境目がほぼそのまま現在の区境になっていることがわかります。 現地は池を中心としてすり鉢状の地形になっており、おそらく生…

上井草の早大グラウンド

ここは早稲田大学ラグビー部本拠地のようですが、私にとって重要なのは、グラウンドのど真ん中を杉並区と練馬区の区境が突っ切っていることです。 なぜど真ん中を区境が突っ切っているかというと、もともとここに境目の細い道があり、あとからこの道をつぶし…

旧公衆衛生院

姿を保存しながら整備し、今年4月から港区複合施設「ゆかしの杜」として使用されている建物です。設計は内田祥三で、この時代に多く見られるスクラッチタイル仕上げです。場所は白金台四丁目、竣工は1938年(昭和13年)です。 実はこの施設、郷土歴史館の範囲(…

区境にある集合住宅

それほど珍しい話ではありませんが、区境にまたがって集合住宅が建設されていることがあります。 添付写真は、杉並区(南側)と練馬区(北側)にまたがっている物件です。出入口は杉並区に設けられているので、住居表示上は「杉並区」となっていますが、実は面積…

区境の道路接続部

東京23区(特別区)は「市」に近い機能・権限を持っており、道路整備に関しては都と特別区が共同で計画を練るようです。しかし、比較的細い道に関しては両区の主張がぶつかり合ったまま…という感じの場所が多く存在します。 写真はその一例です。杉並区から練…

将門首塚

現在、千代田区の大手町から丸の内にかけて再開発の嵐ですが、その中にぽつんと取り残されたような感じの場所(写真1)があります。将門首塚です。こんな由来があるんだそうです… ◇ ◇ ◇ 今から1000年ほど昔、平将門は坂東の地を平定して自ら新皇と称しました。…

発車後のバスへの駆け込み乗車…

街を歩いているといろいろおもしろいものがあるのですが、某駅前のバス停に写真のような表示がありました。 しかし…どのような状態のことなんでしょう? 発車したバスのドアの外側のわずかなステップに脚をひっかけて乗る? しがみつき乗車という感じですね…

くわばらくわばら…

1960年代以降、日本中を住居表示の嵐が吹き荒れ、数多くの町名が消えました。しかし、その嵐に飲み込まれなかった都市があります。京都です。今でも歴史ある町名がたくさん残っています。 ところで、この京都市内にだれも住んでいない町があります。中京区の…

クランク状の境目

玉川浄水場から丸子川(多摩川の支流)まで、おおざっぱに谷底が大田区と世田谷区の区境になっています。これは1世紀ほど前(当時は村の境目でした)から変わっていません。 区境に降りていく道には写真1のような「部分的階段道路」があったりして、萌え~の世界…

田園調布と玉川田園調布

大田区と世田谷区の境目はうねりながら、田園調布駅の北部をほぼ東西に突っ切っています。 写真1は田園調布の駅から緩やかに登った先にある玉川浄水場です。区境は浄水場の前を通っているのですが、気になったのが世田谷区の住居表示板です。「板」ではなく…

庭先は区境

境目は道路や水路であることが多いのですが、街中の場合はそうでない事例が数多くあります。今回はそうでない事例のひとつですが、昔の地図や現地の状況から推測すると、「谷底が村どうしの境目になっていて、その後住宅がびっしり建てられたためこうなった…

おもしろい境目、つまらない境目

趣味人は実に勝手なものです。当事者の事情などにお構いなしに「萌え~」とか「つまらん~」とか言っているわけですから…。 今回のネタは大田区と世田谷区の区境です。 まず写真1ですが、美しい境目です。奥のコンクリート壁(環八通の擁壁)の色に差異がある…

区境の住居表示板

ごくありふれた街の風景ですが、よく見ると住居表示板の上半分が無くなっています。そして、ここは世田谷区と大田区の区境であるということを知ると、見え方がちょっと違ってきます。 「世田谷区が領地拡大を狙って大田区の住居表示板をもぎ取ったのではなか…

御池通の「御池」とは

まるたけえびすにおしおいけ…の御池通ですが、「御池って何のことだろう」と気になっていました。 ◇ ◇ ◇ 平安京の南北中心軸は朱雀大路で、現在の千本通(山陰線の脇)です。しかし、京都の街を歩き回ってみると烏丸通(京都駅前の通り)あたりが街の南北中心軸…

中京郵便局旧庁舎

京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)のすぐ西にあります。場所は三条通東洞院東入。設計は逓信省営繕課とのこと。 現在の中京(なかぎょう)郵便局も同じ場所に建っていますが、今から40年ほど前に旧庁舎外壁のみ保存して中身を造り替えました。改築当時の…

ネコ型監視カメラ

近年、防犯のためカメラがあちらこちらに設置されています。 このカメラには不審者追跡機能が搭載されているようです。

北区中央図書館

うまく活用されている煉瓦建物の例です。 北区、板橋区は軍需工場地帯として有名なところでした。終戦後70年以上経過した現在でもその名残はあちらこちらに認められます。 そのひとつが北区の中央図書館です。ここには終戦まで東京第一陸軍造兵廠(兵器を造る…

解体されてしまった煉瓦建物

金町駅の北西、線路沿いに三菱製紙中川工場がありました。 この工場は2003年(平成15年)に閉鎖され、隣接する三菱ガス化学の工場と併せて更地になりました。しかし、線路沿いの煉瓦の建物(写真1)だけはその後もずっと残り続けていました。再開発地区の公園に…

中野の演習場跡

昔、陸軍に鉄道連隊という組織がありました。その名の通り鉄道を専門に取り扱い、後方支援のための輸送手段確保、つまり鉄道建設や運行管理が任務となっていました。鉄道連隊は1907年(明治40年)から1945年(昭和20年)まで千葉と津田沼に置かれていましたが、…

万年塀の景観保存?

万年塀というものは高度成長期の「悪しき景観の代表例」と思っていたのですが、その景観を保存した形でステンレス製出入口が設けられています。 ちなみにこの地区(谷中)の景観形成目標や景観形成方針の中から該当しそうな項目を引っ張り出してみると「地域で…

都県境未確定地域

写真1がこの地域の全景です。江戸川に放水路を設けた際に旧江戸川の流れを少し西(東京都側)に移したため、「昔の川の中央が都県境だ」「現在の川の中央が都県境だ」ともめている地域です。ただしこのあたりは国の施設(河川事務所)なので実害はないようで、半…

旧第一銀行京都支店の複製

歩いていて一瞬「を、素敵な建物!」と思ったのですが、なんだか雰囲気が変です。近づいてよく見ると、あちらこちらに「組積造では成立しない構造」「素材の薄さが見えてしまう仕上げ」があります。「あぁ、模造品だ…」と気付きましたが、全体的な意匠は悪く…