御池通の「御池」とは

まるたけえびすにおしおいけ…の御池通ですが、「御池って何のことだろう」と気になっていました。

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平安京の南北中心軸は朱雀大路で、現在の千本通(山陰線の脇)です。しかし、京都の街を歩き回ってみると烏丸通(京都駅前の通り)あたりが街の南北中心軸という感じです。なぜこうなのかというと、京都の地形によります。

京都の街は北から南に向かって緩い下り勾配になっていますが、二条城以南では東から西に向かってもわずかに下り勾配になっています。その結果何が起こるかというと、地下水が湧き出る湿地帯となるわけです。そのため、平安京ができてしばらくすると西側には人があまり住まなくなってしまったそうです。

明治時代の地図を見ると、大宮通付近から東は建物がびっしり建っていますが、西側は田んぼのマークが広がっています。明治の頃でも西側には人がほとんど住んでいなかったんですね。

その後の年代の地図を調べてみると、西側に人が多く住むようになったのは高度成長期以降ということがわかりました。

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さて、話を御池に持っていきます。

 

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二条城の南に神泉苑があります。このあたりは上記の通り湿地帯でしたが、それをうまく利用して天皇御遊の庭園としてつくられたものです。案内板によると平安京と同じ長さの歴史があるそうです。

そうです。御池通の御池とは神泉苑のことだったんですね。