中野の演習場跡

昔、陸軍に鉄道連隊という組織がありました。その名の通り鉄道を専門に取り扱い、後方支援のための輸送手段確保、つまり鉄道建設や運行管理が任務となっていました。鉄道連隊は1907年(明治40年)から1945年(昭和20年)まで千葉と津田沼に置かれていましたが、その演習線跡の一部は戦後新京成電鉄の用地として利用されています。

ところで鉄道連隊は最初から千葉と津田沼にあったのかというとそうではありません。鉄道連隊の前身である鉄道大隊は1896年(明治29年)に創設されて翌年設営されましたが、その場所は中野でした。その後10年ほどで鉄道連隊となって上記の通り千葉と津田沼に移転してしまいましたが、中野の演習線跡はそのまま軍用地として残り、電信隊が使うようになりました。

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中野駅北口に帝京平成大と明治大の中野キャンパスがありますが、その西側から写真1のような道が伸びています。周りの区画に対して斜めに伸びているところが妙ですが、この細い道こそ鉄道大隊演習線(のちの電信隊演習場)の遺跡です。この先延々と2km以上、日大二高・中まで続きます。

 

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1km少々西へ行くと馬橋公園(写真2)があります。この公園の前には写真3のようなものがあります。よく見ると陸軍の文字が…。馬橋公園あたりは、終戦まで陸軍気象部の敷地でした。

 

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さらに7~800mほど西へ行くと、住宅地の中に写真4のような杭があります。ここにも(写真5)陸軍用地の文字が…。昔は兵隊さんが演習のために走り回っていたのでしょう。ほかにも同様の杭を周辺で何か所か発見しました。

しかし、戦後70年以上経過した現在でもこのようなものが残っているとは驚きです。