北陸鉄道キハ5301→筑波鉄道キハ541

 昔、能登半島には「能登線」と称する路線が2本ありました。1本目は「国鉄能登線」です。区間は穴水-蛸島で、途中に恋路という素敵な名称の駅がある路線でした。国鉄→JR→のと鉄道と運営の母体が変わり、消滅しました。

 2本目の能登線は「北陸鉄道能登線」です。区間羽咋-三明で、国鉄能登線とは全く別の存在です。この北陸鉄道能登線を走っていた「最高機能を有する車両」が、今回の主役です。

写真1 筑波鉄道キハ541

 さて、「最高機能」などという表現を用いると新幹線N700系のような車両を想像するかもしれませんが、北陸鉄道能登線の「最高機能を有する車両」は写真1です。

 この車両は、北陸鉄道能登線の客車(付随車)コハフ5300形として日本車輌製造で1957年に1両だけ新製されました。当初より気動車に改造する前提で、6年後には日本車輌製造で改造されて本来の姿であるキハ5300形気動車(ディーゼル動車)になりました。

 それでは何が「最高機能」だったかというと、総括制御可能だったのです。総括制御とは、ひとりの運転士がすべての車両を制御できるということで、画期的なことでした、北陸鉄道能登線としては…。つまり、このキハ5300形キハ5301以外の在籍車両は総括制御できず、1両ごとに運転士が乗務して操作する必要があったのです。

 北陸鉄道としては羽咋から国鉄七尾線北陸本線を経由して金沢まで乗入れる夢を持ったのですが、結局かなうことなく、北陸鉄道能登線自体が1972年に廃止されてしまいました。失業したキハ5300形キハ5301は関東鉄道に引取られ、キハ540形キハ541と名乗るようになりました。職場は筑波線で、1979年に関東鉄道から筑波鉄道が分離されてもそのまま働き続けました。

 1985年1月には検査期限切れ(車検切れのようなもの)となり、同年7月に廃車となりました。その後、1987年には筑波鉄道が廃止されることになり、解体されて名実ともにこの世から姿を消しました。

写真2 荷台

 ところでこの車両、荷台を前後に有していたという点で貴重でした。何とも前時代的です。自転車でも置いていたのでしょうか。

 

写真3 クモハ101-902

 最後に、北陸鉄道コハフ5300形と同じく1957年に生まれた同年代車両を写真3として掲載しておきます。とても同じ年齢には見えませんね…。

 

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ちかてつ
さかてつでした…