江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511 新製部位の謎

 昔の地方私鉄には素性のよくわからない車両がかなり存在しました。江若鉄道のキハ30もその一例です。この車両は大鉄車輌工業で1963年に「新製」されたということになっています。しかし、実際に新製した部位はどこなのか、今ひとつよくわかりません。謎を残してこの世から消えてしまいました。

 以下、疑問を感じた部位を記していきます。

写真1 台枠

 写真1は、筑波鉄道キハ511の前頭部床下ですが、台枠中梁が下方に突出しているにもかかわらず、その前方が切断されています。つまり、下半分は強度に寄与していないのです。確かに江若鉄道キハ30時代から密着式小形自動連結器を使用しているので、中梁は下方に突出させるほど強度は必要ないのですが、これは「台枠はもともと江若鉄道キハ30用として設計されたものではない」ということを意味します。では具体的にどの車両のものだったのか…謎です。

写真2 蓄電池箱

 写真2は鹿島鉄道キハ600形の蓄電池箱です。この車両は国鉄キハ42500形から改造されましたが、蓄電池箱は昔の状態を維持しています。一方、筑波鉄道キハ511の蓄電池箱は新しいものに交換されていますが、江若鉄道キハ30時代の写真を見ると、まさにこの写真2のような蓄電池箱です。しかし…1963年新製ということを考えると、妙に古くさく奇妙です。台車と同様、流用品だったようですが、そうするとどの車両のものだったのか…これまた謎です。

写真3 元空気溜

 写真3は元空気溜です。これは江若鉄道キハ30新製当初から不等間隔の帯3本でつり下げています。台枠の横梁位置に起因しているようですが、違和感があります。一般的には2本でつり下げるものです。ただ単に大鉄車輌工業が一般的な艤装方法を知らなかっただけなのか、それとも別の理由があるのか…よくわかりません。

写真4 燃料タンク

 写真4の「油」と記されたものは燃料タンクです。これも江若鉄道キハ30新製当初からのものです。しかし、つり下げ用帯の位置が車両前後方向で非対称であるあたり、何やらいわくありげです。大鉄車輌工業の不思議な技術的センスによるものなのか…。独特のものであるがゆえに大鉄車輌工業で製作された「純正の新品」と言えるのかもしれませんが。

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 その他、ブレーキ装置はGPSです。江若鉄道の既存気動車に合せてGPSにしたのは自然ですが、P制御弁などは国鉄キハ42500形等から再利用した可能性も否定はできません。

 いろいろと謎のある江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511、そして大鉄車輌工業です。ちなみに、大鉄車輌工業の創業は1947年2月で、所在は現在の京都府向日市森本町(向日町駅の南方)でした。

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ちかてつ
さかてつでした…