江若鉄道キハ30→筑波鉄道キハ511 塗色の変化

 江若鉄道とか筑波鉄道とか、世間一般ではおそらく知らないことが当たり前の鉄道の、さらに地味な特定の1両だけに関していろいろ記してきました。鉄道という分野を海に例えれば、日本海溝の奥底に転がるひとつの岩に関して書いているようなものです。

 日本海溝奥底の岩のついでに、最後は塗色に関してお話します。

図1 江若鉄道の塗色

 江若鉄道キハ30は、新製されてから翌年まで国鉄特急形塗色(窓回りが赤、その他はクリーム)でした。その後交直流急行形電車と同様の塗色(窓回りクリーム、上下がローズピンク)になっています。裾のクリーム線は交直流急行形電車の場合は60Hz用であることを意味していますが、江若鉄道キハ30は気動車だったので60Hzも50Hzも関係ありません。単に塗色をまねただけです。

図2 関東鉄道筑波鉄道の塗色

写真3 筑波鉄道キハ511他(1985年撮影)

 その後、1969年に江若鉄道が廃止されてから関東鉄道にやってきました。しばらくそのままでしたが、結局関東鉄道の標準塗色に変更されています。1970年代は、旧塗色でしたが、そのうち細帯が消えて単純な2色になりました。旧塗色はいかにも地方私鉄らしく、一方新塗色はすっきりした感じです。なお、新塗色といっても「1980年代において」という意味で、現在の標準塗色は別の色になっています。

◇   ◇   ◇
 

 ところで、江若鉄道の名称は近江から若狭を目指すことを意味しており、国鉄小浜線三宅(現在の上中)に到達して京阪地区と小浜を最短で結ぶ計画でした。しかしその夢は果たせず、近江今津までしか開業できませんでした。地方私鉄によくある話です。琵琶湖西側経由で日本海側への到達を実現したのは国鉄湖西線です。

 江若鉄道としては国鉄北陸本線を走る電車の塗色にすることで、日本海側に達する夢を実現した気持ちになりたかったのかもしれません。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…