昔の写真を整理していたら、写真1が出てきました。撮影場所は北十間川にかかる京成橋です。目の前には昔の橋の跡があり、その向こうに生コン工場が見えます。北十間川沿いの道路にはコンクリートミキサー車がずらりと並んでいました。殺風景で近寄りがたい雰囲気でした。
写真2は、約四半世紀後の同じ場所です。東京スカイツリータウンと称しています。
この東京スカイツリータウンには、東武鉄道の船渠跡があります(写真3および写真4)。大半の来場者は歴史的経緯などご存じないのかもしれません。地面を写真撮影している私のことを不思議そうに見ていました。
地面に埋め込まれた案内には、水路と上屋が写っています(写真4)。帝国陸軍陸地測量部発行「1/10000地形図」(1930年)を参照すると、まさにこの場所に、プラットホーム上屋に平行した水路のようなものが記されていました。
東京スカイツリータウンには、写真5のような石碑ならぬ「コンクリート碑」もあります。「なぜここにこのようなものが?」と思われるかもしれませんが、今から四半世紀以上前は写真1のような状況だったのです。
写真6~8は押上周辺の空中写真です。
戦時中は京成橋の南方と北十間川の南岸に空地が広がっています。空襲による延焼防止のために建物疎開をしていたようです。
写真6~8を比較すると、時代が下るにしたがって徐々に変わってはいますが、全体的な雰囲気はそう大きく変わっていないように見えます。写真1を撮影した頃、まさか写真2のようになるとは夢にも思っていませんでした…
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以上
ちかてつの
さかてつでした…
【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。