以前「練馬区まで30m」というお話をしましたが、今度は「杉並区まで10m」です。
https://me38a.hatenablog.com/entry/2018/12/01/172928
見れば見るほど「何の意味があるんだろう」と思ってしまう表示です。もちろん私としてはありがたいのですが。
区境で道幅が急に変化しています。さらに「杉並区まで10m」と表示されているので、中野区と杉並区の区境を見誤ることはありません。
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ところでこのあたりの昔の地図を調べてみると、大正時代から昭和時代になる頃、境目の移動・整理をしたようです。大正時代は千川通りから新青梅街道あたりまで境目が大きく円弧を描いていましたが、昭和時代になると「く」の字形(2本の直線状)になっています。おそらく、宅地化が始まったことと関係しているのでしょう。
それでは…と「境目まで10m」の地点(写真1:中野区)を大正時代の地図で調べてみたら、なんと井荻村(現在の杉並区)でした。もし境目が大正時代のままだったら、写真1の場所には「ここは杉並区(中野区まで20m)」という案内標が立つわけですね。
境目は時代と共に変化することもあるという事例でした。