北海道にはたくさんの炭鉱があり、貨物や人を運ぶための鉄道が走っていました。しかし1970年前後に次々に閉山され、そこで働いていた車両たちも仕事を失いました。これに目を付けたのが内地の非電化私鉄で、失業状態にあった気動車を次々に買い求めました。これらの車両たちは「第2の職場」で元気よく働いたのです。
第2の職場として有名だったのが関東鉄道です。数回にわたり、北海道の雄別鉄道からやってきた車両たちについて記します。今回はキハ760形です(鉄道名はいろいろ変わっていますが、便宜上雄別鉄道と記します。)
キハ760形は、1957年に雄別鉄道のキハ49200形として登場しました。形式からわかる通り、国鉄キハ49200形を基本としています。国鉄の方はキハ21形として登場しましたが、雄別鉄道の方はそのままの形式で登場しました。車番がおもしろく、キハ49200Y1、キハ49200Y2、キハ49200Y3でした。Yは雄別の意味です。
冒頭に記した通り、この鉄道は1970年に廃止となり、キハ49200形3両は関東鉄道に来てキハ760形と名前を変えました。
写真1と写真2から、どんな形態の車両かおわかりいただけると思います。国鉄キハ21形と同じじゃないか…と思われた方も多いことでしょう。しかし、貫通幌なし、床下排気(客室内に排気管が通っていない)のため車体中央寄り5個の客室窓の窓柱寸法がすべて同じ、便所なし、菱枠形台車、P制御弁使用、などが異なっていました。
右の方に見える排気口からぶわーっと排気されます。夏は窓を開けるのが常識なので(冷房装置などないのが常識なので)、排気ガス臭くて大変です。雄別鉄道時代にはディーゼル機関には冬季に覆いを取付けるための枠がありましたが、内地にやってきてからは取外されました。
以上
さかてつでした…