呉服橋付近の区境のお話をします。今回は、再開発によって変化した交差点風景です。
1.空中写真
呉服橋交差点で永代通と外堀通が交差しています。千代田区と中央区の境目はこの交差点のすぐ西側を南北方向に走っています。
写真2は1964年東京オリンピック開催前年の状況です。日本橋川に高速道路を建設している様子がわかります。写真3は終戦間もない1947年の状況ですが、まさに外堀通に沿って外濠があったことがわかります。永代通が外濠を渡るところには呉服橋と称する橋がありました。これが交差点名になっています。
このあたりの区境は外濠のあった場所です。
【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。
2.現地の状況
区境に立っている大和呉服橋ビルはまだそのままですが、となりの建物は壁に覆われ始めました。
暑くなる頃には大和呉服橋ビルも壁に覆われ始めました。区境も壁に覆われ始めたわけです。
区境もろとも、きれいに覆われてしまいました。
じわじわ低くなってきました。中で解体工事が進行中です。まちがって区境も解体されてしまうのではなかろうかと一瞬思いましたが、そんなことはありませんね。
さらに低くなってきました。
寒くなる頃には、ほとんどなくなってしまいました。
更地になり、ゴジラが出没するようになりました。
基礎ができて鉄骨の組上げが始まると早いものです。どんどん空へ伸びていきます。鉄骨に区境が記されている…わけもありません。
建物がどんどん高く大きくなり、ゴジラが小さく見えるようになってしまいました。上の方は1枚の写真に納まりません。写真14には2基のクレーンが写っていますが、左側は千代田区、右側が中央区になるはずです。両区に対して各種の申請をどのように実施したのだろうかと余計なことを考えてしまいます。
開業後の姿です。呉服橋の前にあるので呉服橋タワー…と思ったら、常盤橋タワーという名前になりました。常盤橋は日本銀行の前に架かっている橋です。個人的には区境タワーという名称も悪くないなと思いましたが、そうはなりませんでした。余談ですが、飯田橋セントラルプラザには区境ホールがあります。
建物の背はずいぶん高くなりましたが、やっぱり区境に建っています。
以上
さかてつでした…