新宿区と文京区の区境は、地蔵通の南で蟹川跡から外れてクランク状に曲がりながら北東方向に向かって進みます。それに対して蟹川跡は区境と異なり、神田川に向かってまっすぐ北上します。これは江戸時代(1800年代初頭)の切絵図を参照しても同様で、蟹川が昔クランク状に曲がっていたわけではありません。ただし、このあたりは上流側と異なり、江戸時代すでに町家になっていました。区境がクランク状になっている理由がこのあたりにあるのかもしれませんが、謎です。
1.空中写真
写真1を見ると⑦地点を過ぎてから区境がクランク状に曲がって神田川に向かっていることがわかります。
【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。
2.現地の状況
写真2は⑧地点で、東西方向(写真2では左右方向)に区境が走っています。写真手前から続くインターロッキングブロックが写真中央付近で途切れているところが区境のようです。
写真3は地蔵通の商店街を東から西に向かって眺めたところです。
写真4は、地蔵通の南側(写真3の左側)です。足元には写真5のように新宿区の境界標があります。この右辺が区境のようです。
写真6は、地蔵通の北側(写真3の右側)です。南側から地蔵通を横切った区境は、ここで再び民有地に入ります。こちら側は文京区と新宿区の境界標が写真7のように矢印をぶつけ合って火花を散らしていました。
写真8は⑨地点の少し東側で見かけた電柱です。改代町は新宿区ですが、その下には文京区の掲示があります。いかにも区境らしい雰囲気です。ちなみに、この電柱が建っている場所は新宿区です。
以上
さかてつでした…