地下鉄銀座線の表参道駅と外苑前駅の中間あたり、青山通西側に都営の青山北町アパートがあります。ここは江戸時代に殿様のお屋敷があり、120年ほど前からは青山師範学校、府立中学校(都立高等学校)などになり、戦後1950年代からアパートになりました。
アパートも還暦を越えて、さすがにそのままというわけにもいかず、南半分はきれいに建替えられました。北半分はこれから解体・建替えです。
ところで、この敷地の西半分は昔から境目でした。1871年(明治4年)の『東京大絵図』を見ると、青山北町アパートの敷地(港区)は近江松平家の屋敷跡、その西側すなわち渋谷区側は河内井上家の屋敷跡と記されています。どうやらこの屋敷の境目がそのまま港区と渋谷区の境目として現在まで引き継がれているようです。
現地はこんな感じです。
青山北町アパートの敷地中央付近を東西方向に横切る道がありますが、写真1はその西側にある区境から撮影したものです。渋谷区側(写真左側)には小さな公園があります。しかし、港区との間には白い柵があり、直接入ることはできません。黄色いポールがある場所を通って港区から渋谷区に入り、その後階段を数段降りて公園に入る…という手間が必要になっています。なお、区境を越えてクルマが往来することはできません。
青山北町アパートの北半分はすでに銀色の板で囲われています。写真2はところどころ設けられている透明窓から見た状態です。
写真3と写真4は、棟の番号です。他の棟は17と同じ字体ですが、なぜか16は立派です。文字の太さが17の10倍以上あります。
写真5と写真6は、いずれも区境の「元松平家」(港区)側から撮影したものです。道左側「元井上家」(渋谷区)の建物には出入口がありません。写真に写っている道の左側15mほどのところに一方通行の道があり、そちら側に出入口が設けられています。
写真7は、裏口のようです。「元井上家」(渋谷区)側にお住まいの方が「元松平家」(港区)側へ直接抜けることができるように設けたようです。しかし、上部のアーチ部は港区側に突出しているように思われます。そうでなくても青山北町アパートの敷地(道)に入り込んでいるような気がします。いろいろ事情があるようですが、詳細はわかりません。
写真8と写真9は、青山北町アパート敷地の北西角です。写真8に映っているクルマの向こうには写真9のごとく柵があります。ここが区境です。見通しは効きますが、もちろん通り抜けはできません。区境を始めとした境目には、いろいろと通行に関して制約が生じるものです。(ただ単に敷地の境目だから…ということかもしれませんが。)
写真10は、写真9の柵の脇にいたハトさんです。彼ら・彼女らは境目を気にすることなく往来できるんですね…。
以上
さかいめ さかιゝ さかτゝの
さかτっ さかてつでした…