同和鉱業小坂鉄道キハ2100→片上鉄道キハ800

 同和鉱業には、小坂鉄道(秋田県)と片上鉄道(岡山県)がありました。遠く離れていますが、採掘したものを運搬するという点で共通しています。旅客輸送もしていたので、いずれの鉄道もディーゼル動車を所有していました。

f:id:me38a:20210207185243j:plain

写真1 キハ801

 写真1は片上鉄道のキハ801です。この車両は1962年に日本車輌製造東京支店(蕨)でキハ2104として新製されました。「4」だったせいか不具合が多かったようで、キハ2105~2107が増備された1967年にキハ2108と改番されました。末広がりで縁起の良い「八」にしたというわけです。

 しかしキハ2101~2107の7両はいつまでも仲良く走れたわけではありません。小坂鉄道の乗客減少に伴い余剰となり、キハ2108(新製当初はキハ2104)とキハ2102は数年の間隔を置いて片上鉄道に移りました。そこにはキハ700形という先輩がいたので、小坂鉄道から来た2両はキハ800形のキハ801と802を名乗ったのです。

f:id:me38a:20210207185305j:plain

写真2 キハ801車内

 写真2はキハ801の車内です。小坂鉄道時代と同じく車内はセミクロスシートです。車内塗色は淡緑色で、冷房されていないことが当たり前だった当時としては涼しく感じる色として一般的に用いられていました。近年は冷房されていることが当たり前なので、このような寒色系はあまり用いられていません。良くも悪くも半世紀以上前の設計です。

 天井の扇風機は、片上鉄道に移るに際して取付けられたものです。小坂鉄道時代は冷房も扇風機もなく、窓を開けて風を通すしかありませんでした。しかし、それが当たり前の時代だったのです。地球温暖化も現在ほど顕在化しておらず、熱中症という言葉もあまり縁がありませんでした。私は地方私鉄に熱中していたわけで、別の意味で熱中症でしたが…。

◇   ◇   ◇
 

  記事を書いていてこんなことを思いました。

【その1】蕨は東京か?
 「東京」支店と称しますが、よく考えたら「蕨」は埼玉県です。「浦安」にあっても「東京」ディズニーランドと称する類ですね。

【その2】なぜ形式がキハ2100なのか?
 「すでにキハ2000が存在」「自重21t」「全長21m」「21世紀に向けて」…いずれでもありません。全長20100mmから0をひとつ外して2100と考えられなくもないのですが、無理がありますね。謎です。

 ところで、このキハ2100の台車に関してはいろいろと謎が多かったのですが、いろいろ調べまくってようやくわかりました。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…