1.はじめに
夏の東京オリンピックに向けて国立競技場が建築(建替え)されました。この競技場は新宿区と渋谷区の区境に位置します。実は昔ここに渋谷川が流れていて、その谷に国立競技場は建っているのです。
前回は国立競技場の建物をご覧いただきましたが、今回は区境(渋谷川跡)がどうなっているかに関する記事です。
2.区境は国立競技場にかなり飲み込まれた
渋谷川は北から南に流れていました。旧国立競技場の西側、外苑橋から観音橋交差点にかけて渋谷川跡の広場がありましたが、国立競技場に建替える際に広場はほとんどなくなりました。
観音橋交差点から仙寿院交差点にかけては明治公園がありました。しかし国立競技場は旧国立競技場よりかなり大きくなったため、観音橋交差点から東に抜ける道は無くなり、明治公園の一部と併せて競技場に飲み込まれました。
さらに仙寿院交差点には大きな陸橋が設けられ、明治公園があった頃に対してかなり雰囲気が変わっています。
3.観音橋交差点と仙寿院交差点の状況
写真1~3は国立競技場付近の空中写真です。戦後70数年で大きく変化したことがわかります。
まだ旧国立競技場の内部を見学できた頃の観音橋交差点風景が写真4です。同写真の中央付近が渋谷川跡で、左側が渋谷区、右側が新宿区になります。観音橋という地名が、そこに川があったことを示しています。
写真5は旧国立競技場がその姿を消した頃の観音橋交差点風景です。東に抜ける道はまだ通れましたが、あちらこちらに柵が設置されていました。同写真中央付近が渋谷川跡(区境)ですが、すでに立入禁止です。
写真6は国立競技場完成後の観音橋交差点風景です。写真4および写真5と同一地点からの撮影はできなくなってしまったので、100mほど南方の仙寿院交差点から柵越しに撮影しました。ずっと奥が観音橋交差点ですが、写真4および写真5と同一地点とは思えません。
こちらは観音橋交差点から100mほど南の仙寿院交差点です。写真7は旧国立競技場が姿を消した頃で、明治公園のほとんどが柵で囲まれています。外苑西通の東、写真中央付近が渋谷川跡(区境)です。その後明治公園は完全に工事現場と化しました(写真8)。
さらに、交差点東側の南北を接続する歩行者用デッキが建設され、ここに公園があったとは思えなくなりました(写真9)。変わっていないのは2本の樹木だけのようです(写真10)。渋谷川の面影はすっかりなくなりましたが、区境は不滅です!
写真11は仙寿院交差点東側の南北接続歩行者用デッキの真下です。同写真左側が渋谷川です。風景は激変しても地形は歴史を物語っています。
4.まとめ
東京オリンピックに向けて建築(改築)された国立競技場は、新宿区と渋谷区の区境(渋谷河の跡)に建っています。渋谷川跡(区境)に沿って観音橋交差点と仙寿院交差点がありますが、国立競技場建設工事に伴い大きく雰囲気を変えました。しかし地形は昔から変わっていません。
以上
さかいめ さかιゝ さかτゝの
さかτっ さかてつでした…
【注記】
写真1~3は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データ(USA-M871-53、MKT636-C9-16、CKT20176-C25-25)を私が編集・加工したものです。