海運ビル地下の謎

永田町駅の北にある海運ビル…実はこの地下には巨大な空洞があり、そこを地下鉄の電車が通り抜けているのです…。


1.文献確認

建設史P.432先の平面図及び縦断面図によると、有楽町線がプリンス通りの真下を走っているのはわずか100m程度です。都市センターホテル(日本都市センター会館)の前はすでに半径403m左曲線になっており、すぐに半径470m左曲線に変わって永田町駅に向かいます。同図には高速道路4号線(青山通り首都高速)北側2か所のポンプ室が記載されており、さらにポンプ室付近には換気室と換気塔がある旨記されています。

建設史P.649図122平河町二工区位置平面図を参照すると、現在の海運ビル真下に相当する場所に平河町立坑が記載されています。ここより北(麹町駅寄り)は複線シールドトンネル、南(永田町駅寄り)はA線とB線が別々の単線シールドトンネルになっています。海運ビルと青山通りの間には平河町ビルがありますが、この建物はA線とB線別々の単線シールドトンネルの真上に位置します。

また、建設史P.528には「日本海運会館ビル建設と同時に施工」「本線構築物および換気塔設置に必要とする面積を確保」と記されています。改めてP.649図122平河町二工区位置平面図を見ると、平河町立坑の中央付近から南西方向にひょろひょろと通路のようなものが伸びています。換気用風道と換気塔のようです。そういう意識でGoogleマップ航空写真をよく見ると、海運ビル駐車場通路の途中に換気塔と思われる構造物がありました。


2.現地の状況

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写真1 都市センターホテル

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写真2 麹町中学校

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写真3 新平河町ビル

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写真4 海運ビルと都道府県会館

写真1は都市センターホテルですが、プリンス通りからずいぶん引っ込んでいるのがわかります。車寄せスペース確保の意味もありますが、建物の基礎が有楽町線トンネルと干渉しないようにした可能性が大です。有楽町線トンネルはこのあたりすでに半径403m左曲線になっており、プリンス通りから民有地に入り込んでいるからです。同写真の奥に見える茶色い建物は麹町中学校の校舎です。

有楽町線は半径470m左曲線で麹町中学校の校舎と校庭(写真2参照)の下を突っ切り、さらに新平河町ビル(写真3参照)の真下を通っています。写真4は写真3と反対側を見たところで、左側は海運ビル、右側は都道府県会館です。この真下に有楽町線トンネルがあるわけですが、少し角度を変えて同地点を見ると、樹木のすぐ脇にある灰色の構造物の壁面が斜めにカットされていることがわかります(写真5参照)。これはちょうど平河町立坑の範囲と一致しています。

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写真5 斜めカット

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写真6 換気塔(北側より)

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写真7 換気塔(南側より)

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写真8 平河町ビル

海運ビルの駐車場通路を見ると、換気塔(写真6の赤↓印)がありました。都道府県会館の公開空地を通って南側(青山通り側)に行くと海運ビルへの通路があり、そこからからこの換気塔がよく見えます(写真7参照)。

都道府県会館の公開空地から青山通りに出ました。平河町交差点に面して平河町ビル(写真8参照)が建っています。斜めにカットされた白い壁面の真下にはA線トンネル、青山通り(写真8左側)に面した壁面中央の真下にはB線トンネルがあります。こうしてみる限り、真下を地下鉄が通っているようには見えません。

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写真9 平河町立坑(車内より)

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写真10 海運ビル

この後、有楽町線の電車に乗って永田町駅の前後を24時間乗車券で何度も往復し、ようやく平河町立坑(写真9参照)を車内から撮影することができました。その構造はまさに建設史P.649図122平河町二工区位置平面図に記載されている通りです。この平河町立坑は、海運ビル(写真10参照)の真下に巨大な構造物として存在し続けているのです。

ところで立坑ということは地上まで開口していたわけです。しかし地下鉄トンネルには天井があり、その上部がどうなっているか車内から確認できません。海運ビルの下にある立坑の空洞が現在どのようになっているのか…謎です。

 

参考資料
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道有楽町線建設史」帝都高速度交通営団(平成8年)