池袋駅に40番出口というものがあります。一見ごく普通の出口ですが、どうもいわくありげなのです。
1.現地の状況
池袋駅から南池袋公園に至る道路の途中に、この40番出口(写真1参照)はあります。地上から見下ろすと写真2のようになっており、楽園タウン池袋店の地下1階に入れます。階段はここで180度折返しますが、見下ろすと写真3のごとく行き止まりのように見えます。しかし階段を下りたところで通路は写真4および5のように防火扉を通り抜けてクランク状に曲がり、地下通路に続いています。
ところで、クランク状に曲がっているところには写真6に示したような「細長い三角形の段差」があります。防火扉があるため床を斜面にできないものと思われますが、不自然な段差につまづきそうになります。
写真7を見ると、40番出口の構造がよくわかります。左右ふたつの通路があるように見えますが、通れるのは左側だけです。右側をよく見ると、いかにもふさぎましたという感じで(写真8参照)、防煙垂れ幕(写真9参照)も取り付けられています。改めて写真7を見ると、40番出口を示す(40)という札が右側通路跡の右にも取り付けられています。さらに右側の通路跡の脇には「↑40 第17野萩ビル」という案内板まで取り付けられています。やはり昔は右側も通路として機能していたのです。
ある日の朝ここを通りかかった時、40番出口の前に人の列(写真10参照)ができていました。何事かと思ったら、この40番出口を上がったところにある楽園タウン池袋店の開店を待つ人々でした。
2.歴史
さて、この付近の歴史を調べてみると次のようなことがわかりました。
(1)1945年 野萩康雄氏が中古衣料品店(のちのキンカ堂)を創業
(2)1970年 有楽町線工事着工
(3)1974年 有楽町線池袋駅-銀座一丁目駅間開業
(4)2010年 キンカ堂倒産
(5)2011年 旧キンカ堂池袋店別館を改修して楽園タウン池袋店が出店
3.推定
楽園タウン池袋店が入っている建物(第17野萩ビル)を地上で見ると1960年代の建設と思われます。左右の通路とも不自然な形で梁が残っていますが(写真7および8参照)、有楽町線と共にこの地下通路が建設された際に、キンカ堂池袋別館(第17野萩ビル)としては梁を残して最大限の開口部を設けたのでしょう。あとから建設された地下通路は第17野萩ビルより床面が少し低く、ビルと地下通路の間には段差ができてしまったものと思われます。
当時はおそらく、左側通路を直進するとキンカ堂の地下2階へ、右側通路を直進すると階段を上がって地下1階へ通じていたものと思われます。もちろん左右の通路はキンカ堂建物内で開口していた(写真4および5参照)ことでしょう。
その後、防火に関する法規の改正があり(あるいは既存不適格を適格にするため)、地下通路と第17野萩ビルの間に防火扉を設ける必要が生じたのではないでしょうか? そのため右側通路を閉鎖した…。さらに、それと同時かその後か定かではありませんが、バリアフリー化のために左側通路を斜面(写真5および6参照)にしたものと推定されます。しかし防火扉が閉まった時に隙間ができないようにする必要があるため、「細長い三角形の段差」(写真6参照)ができてしまった…。
さて、みなさまはどのように推定なさいますか?
ちなみに、楽園タウン池袋店の開店を待つ人々(写真10参照)は本物件の構造とは関係ないように思われます…。