護国寺の真下を電車が走っているというお話

護国寺は、徳川家5代将軍である綱吉公により天和元年(1681年)創建されたそうですから、300数十年の歴史があることになります。ひとたび境内に入ると、とても山手線内とは思えないような雰囲気です。

ところで、この境内の真下を電車が走っています。護国寺は地下鉄有楽町線の真上にあるのです。


1.文献調査

参考にした文献はいつものごとく有楽町線の建設史です。建設史P.432先の平面図及び縦断面図によると下記のようなことがわかります。

有楽町線東池袋駅方面から日出通り(池袋駅東口の駅前通り)の真下を直進してきます。豊島区と文京区の区境を越えるあたりで日出通りは南に曲がりますが、有楽町線は直進して道路の真下から外れます。

そのまま直進して護国寺境内に入るあたりから1000m右曲線で若干経路を変え、観音堂(本堂)の脇を通って仁王門に向かいます。このあたりで350m右曲線で向きをさらに変え、音羽通りの真下にある護国寺駅に到達しています。

なお、東池袋駅から護国寺駅に至るまで複線シールドトンネルで、護国寺境内にNo.106換気塔がある旨記されています。建設史P.446図12には護国寺駅の構造図が掲載されていますが、No.106換気塔は護国寺駅の一部となっていることがわかります。境内に地下通路が伸びているわけですね。


2.現地の状況

今回もA線の方向(和光市駅新木場駅の方向)に現地を歩いてみました。

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写真1 日出通り脇の風景

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写真2 日出通り脇の風景

写真1と2は、有楽町線が直進して日出通りの真下から外れていくあたりです。写真1左側に見える集合住宅の壁面が斜めになっているのは、基礎が有楽町線トンネルと干渉しないようにするためと推定されます。

余談ですが、写真1と2は豊島区から区境の道路越しに撮影した文京区の風景です。

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写真3 護国寺境内の墓地

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写真4 コンドルのお墓

護国寺の境内に入り、有楽町線の真上付近を撮影しました(写真3参照)。墓地を歩いていたら、ジョサイア・コンドルのお墓を見つけました。有楽町線トンネルのすぐ近くだったんですね。案内板(写真4参照)を掲載しておきます。

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写真5 薬師堂

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写真6 観音堂(本堂)

有楽町線トンネルは墓地を突っ切り、薬師堂(写真5参照)の下をくぐり、観音堂(写真6参照)の脇を南下していきます。

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写真7 不老門

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写真8 No.106換気塔

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写真9 仁王門とNo.106換気塔

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写真10 仁王門

不老門(写真7参照)の西側に階段を迂回する坂道がありますが、ここを歩きながら降りていくと、右手に異様な構造物(写真8参照)が見えます。No.106換気塔です。この真下を有楽町線が走っているわけですね。

写真9は、仁王門の脇からNo.106換気塔を見たところです。多くの方は写真10のように仁王門を見ているわけで、換気塔の存在に気付いている方は少ないことでしょう。


参考資料
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道有楽町線建設史」帝都高速度交通営団(平成8年)
 2.大本山護国寺HP