写真1と写真2はアパート敷地の北半分で、これから解体・建替えです。写真1には、建替え終わった南半分の新しい建物が見えます。
写真2の右側に黄色い柵が小さく写っていますが、ここに近づいて撮影したのが写真3です。写真2に写っていた人がいなくなっていたり、影の方向が少し変わったりしていて不思議です。(実は別の日に撮影しました。)
写真奥の方では道のすぐ脇に金網がありますが、黄色い柵の右奥付近では金網が道から離れていく様子がよくわかります。
写真4は、写真3の「道と金網」を近くで撮影したものです。何やら不思議な空間となっていてピンク色の砂利が敷かれています。そして、左奥には杭があります。
写真4の「左奥」杭に近づいて撮影したのが写真5です。東京都の杭(境界標)です。
写真6は、写真5の杭の脇の状態です。杭-杭です。ブロックの下敷きになっていますが、境界標のようです。
写真6の右側をたどっていくと、写真7のごとく、また杭があり、そこでブロックと金網が折れ曲がっています。
写真7の杭を拡大したのが写真8です。ブロックの下敷きになっていますが、存在を主張しています。地図と照合すると、これらの杭-杭-杭は港区と渋谷区の境目のようです。
『東京人2015年5月号』に今尾恵介氏の記事があり、東京市赤坂区(現在の港区)と南豊島郡原宿村(現在の渋谷区)の1889年(明治22年)4月から5月にかけての「境目の移動・整理」に関して記されています。これによると青山墓地の西側あたりは大きく境目が動いていますが、今回ご紹介した写真のあたりは1889年にはほとんど変わっていません。ただし、その後時代と共に境目の凹凸状態が少しずつ変化しています。現在の区境(写真3~8)になったのがいつなのか、正確にはわかりません。いろいろな年代の地図を見ると微妙に異なっていますが、単なる標記上の誤差なのか、それとも実は杭がじわじわ動き回っているのか…気になるところです。
以上
さかいめ さかιゝ さかτゝの
さかτっ さかてつでした…