【都市伝説好きの方へ】千代田線霞ヶ関駅に謎の地下空間があるというのは本当か?

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1.はじめに

 地下鉄の駅は、プラットホームから階段やエスカレーターで「上って」改札階に出て、さらにそこから上って地上に出るという構造が一般的です。

 これに対して東京メトロ千代田線の霞ヶ関駅は、プラットホームから階段やエスカレータでいったん「下って」改札階に出て、そこから地上に「上る」ようになっています。なぜこのように通常とは逆の駅構造になっているのでしょうか?

 もうひとつ、「千代田線霞ヶ関駅は昔建設された地下構造物を利用しているため、謎の地下空間がある」という都市伝説がありますが、本当でしょうか?

2.霞ヶ関駅付近の歴史と考察

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写真1 霞ヶ関駅周辺

 1960年代から1970年代にかけて、霞ヶ関駅周辺では丸ノ内線日比谷線千代田三田線(日比谷公園の東側は両線一体構造)…という順で次々に地下鉄が建設されました。地下鉄は、あとから開業した路線が既存路線の下をくぐるのが一般的です。そのため、立体交差①と②は次のような構造になりました。

 立体交差① 上:丸ノ内線 下:日比谷線
 立体交差② 上:丸ノ内線 下:千代田三田線

 同様に考えると、立体交差③は下記の第1案が一般的ということになります。ところが、現実には第2案が採用されました。なぜ第2案が採用されたのでしょうか…。

 立体交差③
  第1案 上:日比谷線 下:千代田線 ←こちらが一般的構造
  第2案 上:千代田線 下:日比谷線 ←採用された構造

◇   ◇   ◇
 

 日比谷線千代田線の建設史には次のようなことが記載されています。

 ・日比谷線霞ヶ関駅建設時、千代田線との立体交差③部を同時建設した。
 ・その関係で千代田線の軌道敷の位置が比較的浅くなった。
 ・その結果コンコースを軌道敷の下に設置せざるを得なくなった。

ただし、これは第2案としたことに対する答になっていません。そこで、第1案を採用するとどのような不都合があるのか、建設史を読みながら考えてみました。

 (1)土被りの大きい区間が長くなる(経費増大)。
 (2)旧海軍省防空壕④を底部まで撤去する必要が生じる(工事期間・経費増大)。

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写真2 旧海軍省防空壕

 いきなり「旧海軍省防空壕」という言葉が出てきましたが、これは1940年に海軍省が建設に着手して2年後に完成させたものです。場所は写真2に示した通りで、土被り数mのところに起爆層と称する鉄筋コンクリート板(東西40m×南北21m×厚さ1.6m程度)がありました(黄色実線)。そしてその2mほど下に防空壕本体(東西33m×南北14m×高さ10.3m程度で3階床)が構築されたのです(黄色破線)。

 1970年代に千代田線を建設する際、この防空壕霞ヶ関駅建設予定地と干渉しました。そこでダイナマイトを用いて半年もかけて破壊・撤去したのです。ただし完全に撤去したわけではありません。霞ヶ関駅に干渉しない範囲(北側の約4割)はそのまま地中に残っています。さらに防空壕の最底階は、霞ヶ関駅を上に載せたまま残っています。工事期間と経費を圧縮するため、防空壕の撤去範囲をなるべく減らしたものと推定されます。

 上記よりわかるように、立体交差③において第2案を採用した理由のひとつは、旧海軍省防空壕があったためと考えられます。ついでに申すと、千代田線霞ヶ関駅が道路の南側に寄っているのは「日比谷公園の角への曲線トンネル食い込み量を減らすため」と同時に「防空壕撤去範囲をなるべく減らすため」という意味もあったと推定されます。

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 最後に立体交差⑤ですが、千代田線三田線を同時に建設していたため、千代田線三田線の上下いずれも通すことが可能だったと考えられます。ただし、立体交差③で千代田線日比谷線の上を走ることになったため、立体交差⑤においても自ずから上を通すことになったのでしょう。そうしないと、立体交差③と⑤の間が急勾配になってしまいますから。

3.霞ヶ関駅の現地状況

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写真3 千代田線プラットホーム

 写真3は、霞ヶ関駅の千代田線プラットホームです。案内表示よりわかる通り、出口に向かうためには階段やエスカレーターでいったん改札階に「下りる」必要があります。プラットホームから「上る」階段やエスカレーターは存在しません。直感的に迷いを生じやすい感じです。

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写真4 千代田線改札階

 写真3の階段を「下りる」と改札階(写真4)になります。上はプラットホーム階ですので、地下鉄電車が頭上を走っていることになります。奇妙な感じです。

 地上に出るには、ここで改札口を出てから改めて「上る」必要があります。

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写真5 霞が関二丁目交差点

 写真5は霞が関二丁目交差点から東の方を見たところです。写真中央に中央分離帯がありますが、ここから右側(南側)にかけて千代田線の霞ヶ関駅があります。そして左側には旧海軍省防空壕の一部が地中に残っています。

 

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写真6 旧海軍省防空壕の地上

 写真6は、霞が関二丁目交差点で写真5の中央分離帯を見たところです。この植込みの向こうの地下には防空壕が残っており、その地下空間は現在も存在し続けている…ということを知っていると、何となくこの風景が違って見えま…せんか?

 

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写真7 旧海軍省防空壕の地上

 写真7は、霞が関二丁目交差点を東方から望んだところです。白い軽自動車が手前に向かって走ってきますが、その真下には旧海軍省防空壕の一部が人知れず眠っているわけです。もちろん、このクルマの運転手はそのようなことを意識していないとは思いますが…。

4.まとめ

 千代田線の霞ヶ関駅は、プラットホームから階段やエスカレータでいったん「下って」改札階に出て、そこから改めて地上に「上る」構造になっています。その理由のひとつとして、霞ヶ関駅建設予定地に旧海軍省防空壕があったことが挙げられます。この防空壕の約半分は撤去されておらず、その内部空間は人知れず地中で眠っています。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…

【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。