1.はじめに
東京メトロ南北線は、1991年11月に駒込駅-赤羽岩淵駅間が開業しました(当時は帝都高速度交通営団の南北線として)。駒込駅から南の方はまだ開業していなかったため、南北線は営団の中で「陸の孤島」のような存在でした。
それでは開業に際して南北線の電車はどこから地下に入れたのでしょうか…。今回はその謎を明らかにします。
2.神谷堀公園の下には南北線の王子車両基地がある
前回お話した通り、神谷堀公園の下には東京メトロ南北線の王子車両基地があります。南北線建設史には王子車両基地に関する記載があり、空中写真を建設史中の図と対比すると、写真1の黄色い線で囲まれた範囲が王子車両基地であることがわかります。構築物とその概要は下記の通りです。
(1)車両搬入庫(地上1階)
地上から車両を搬入するためのもの
搬入口(5.5m×26m)とクレーンあり
(2)車両基地(地下2階と地下3階の2層式)
開削工法で地下約23mまで掘削して建設
地下2階:車体置場、台車置場、空調機械室、電気室
地下3階:留置線(8両×4編成分)、洗浄機、洗浄台、転削盤、修繕線
(3)地下鉄王子ビル(地上5階建)
車両基地の上(神谷堀公園に隣接)
工務区、電気区、検車区事務所
以上よりおわかりの通り、南北線開業時は車両搬入庫の搬入口から電車を地下に入れたのです。
3.地上風景
北本通から神谷堀公園に向かって50mほど入ったところには駐輪場があり、その奥に換気塔②(写真2)が見えます。巨大な豆腐のようですが、Googleマップ航空写真を見ると換気塔であることがはっきりわかります。南北線建設史記載の図を参照すると、駐輪場とこの換気塔②は地下車両基地の真上であることがわかります。
写真3の手前には駐輪場と換気塔②が写っており、その奥には高層集合住宅が2棟並んでいます。これらの高層集合住宅は北本通に対して斜めに建っていますが、王子神谷駅北方で分岐した線路が、これらの高層集合住宅の北を回り込むようにして王子車両基地に向かっているためです。
駐輪場の脇には王子五丁目会館が建っています(写真4)。当初「この会館の左側までが掘削範囲なので、この建物は残ったのだ」と思いました。ところが建設史には「王子五丁目会館を移設、復元」と記されています。同会館は王子車両基地の真上だったのです。現地調査だけでは判断を誤ります。
写真5は、王子五丁目会館(写真4)の脇から撮影したものです。この公園の下はすべて王子車両基地です。
ところでこの写真5を撮影していて、右奥に何やら階段のようなものが見えるのに気づきました。
近づいてみると、まさに「地下に続く階段」です(写真6)。南北線建設史の図を参照すると、地下2階と地下3階に続く非常出口であろうと推定されます。
似たような非常出口は神谷堀公園の北口脇にもあります(写真7)。ちなみに、神谷堀公園の中に「地下に王子車両基地がある」ということを示すようなものはありません。
非常出口②(写真7)の脇から神谷堀公園の向かい側を見た状態が写真8です。正面に見える「巨大な豆腐」が車両搬入庫です。もちろん立入禁止ですが、南北線建設史の図を参照するとシャッタ右側内部に5.5m×26mの搬入口があり、そこから車両(約2.8m×約20m)をクレーンで地下2階まで下せるようになっています。ここがまさに「南北線車両を地下に搬入したところ」です。
さらにシャッタ手前の道路地下には「地下2階から地下3階への搬入口」があります。地上から搬入した車両は、一気に地下3階の留置線まで下すのではないことがわかります。
写真9は東京メトロの建物(地下鉄王子ビル)です。写真8にも写っていますが、車両搬入庫の隣に建っています。おそらくここから地下の車両基地に職員さんたちが入って行くのでしょう。この建物前の道路地下にも洗浄線と修繕線が伸びています。地下は線路だらけなのです。
隅田川の築堤から南を見ると、巨大な換気塔があります(写真10)。建設史の図を見ると、洗浄線と修繕線がここまで来ていることがわかります。隅田川の目の前まで地下車両基地が迫っているんですね…。
4.まとめ
神谷堀公園から隅田川にかけての地下には王子車両基地があります。神谷堀公園の北には、車両を搬入するための「地下への開口部」があります。南北線開業時にはここから電車を地下に入れました。
以上
ちかてつの
さかてつでした…
【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。