【都市伝説好きの方へ】「ある建物」が南北線の曲線を増やしたのか?

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1.はじめに

 東京メトロ南北線の本郷弥生交差点付近の経路は、地図ごとに結構ばらついています。現実にはどのように走っているのか、そのような経路になっている理由は何なのか…。

 いろいろ調べてみると、どうも「ある建物」の存在が南北線の経路に影響を及ぼしたようです。今回はその謎に迫ります。(あくまでも個人的解釈ですので…念のため。)

2.南北線の経路

 ネット、紙…いろいろな地図があります。それらを比較すると、後楽園駅-東大前駅間のうち特に東大前駅の南側(本郷弥生交差点付近)の経路にかなりばらつきがあります。それでは現実にはどうなのかというと、南北線建設史に曲線半径入りの路線平面図が掲載されています。

 後楽園駅
 半径165m右曲線
 直線
 半径205m左曲線(菊坂下換気室あり)
 直線
 半径225m左曲線
 半径270m右曲線(西片二丁目交差点付近)
 半径180m左曲線
 東大前駅

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写真1 空中写真(2017年8月)

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写真2 空中写真(1989年10月)

 この経路を空中写真上に記載したものが写真1です。各種地図と比較してみると、その差異がよくわかりますが、南北線はこのようにぐにゃぐにゃ曲がりながら走っているのです。

 さて、この経路を見て不思議に思うのは、西片二丁目交差点南方の半径225m左曲線です。ここで曲がらずに本郷弥生交差点の手前まで直進し、そこから一気に半径180m左曲線で東大前駅南方の本郷通に出た方が、民有地の下を走る距離が現状と大差ないにもかかわらず曲線が少なくてすむからです。

 一方、このような直線的経路にするためには、建物⑥の真下を通過する必要が生じます。写真2を参照するとわかりますが、建物⑥は南北線着工の頃(1989年)すでに存在していました。ということは、真下に南北線トンネルを設けるためにアンダーピニング(基礎の下受工事)を行なう必要があります。しかし、アンダーピニングには多大な費用を要します。

 推測ですが、アンダーピニングによる建設費増大を避けるため、この建物⑥の真下を通過しないように経路を設定したのではないでしょうか? 南北線着工当時(写真2)は建物⑥以外、トンネル建設に支障をきたすような建物が無い…ということもこのことを裏付けるような気がします。

3.地上風景

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写真3 半径225m左曲線付近

 写真3は、半径225m左曲線付近の状況です。南北線は写真奥(南)から右手前(北)に向かって走っています。道路は直線的に屈曲しているため、南北線トンネルは道路真下に納まらず、写真右側(西側)の建物の下に食い込んでいます。シールドトンネルですから、この程度の低階床の建物には影響を与えません。

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写真4 西片二丁目交差点

 写真4は西片二丁目交差点です。南北線は手前(南)から半径270m右曲線で奥(北)に向かっています。ただし道路の屈曲がきついため、南北線トンネルは建物⑤の下から民有地に入り込んでいきます。写真の奥には建物⑥が見えていますが、南北線はこの左側を走っています。

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写真5 西片二丁目交差点北側の民有地

 写真5は、西片二丁目交差点の北側すなわち建物⑤裏側の民有地です。この写真の左手前(南西)から右奥(北東)に向かって南北線が走っているのですが、こうして見る限りトンネルが地下に存在していることは全くわかりません。

 

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写真6 西片二丁目交差点北側の民有地

 写真6は、写真5から20mほど離れた場所です。ここにおいても南北線は写真の左手前(南西)から右奥(北東)に向かって走っていますが、やはり地下トンネルの存在は全くわかりません。

 

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写真7 建物⑥付近の民有地

 写真7は、写真6の場所からさらに50mほど離れた場所です。写真2(南北線着工の頃である1989年撮影)にも写っている建物⑥は、本郷通と写真7の道路の間にまたがるように建っています。南北線建設に際しては、この建物⑥を避けるように経路選定したものと思われます。南北線は半径180mの曲線で建物⑥左奥を通過し、追分交差点を斜めに横切って東大前駅に至っています。

 

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写真8 追分交差点近くの民有地

 写真8は追分交差点近くの民有地で、この真下を南北線が右(南)から左(北)へ半径180m左曲線で走っています。写真奥に見えるのは本郷通越しに見える東京大学です。このあたりは低階床の建物しかないため、シールド工法で建設された南北線トンネルの上に改変は無いようです。

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写真9 追分交差点

 写真9の手前の道路は本郷通です。南北線は、建物⑥の右側を半径180mという急曲線で曲がりながら、この写真の右端あたりで本郷通の下にもぐり込んできます。

 

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写真10 追分交差点

  写真10は、追分交差点を写真9の反対側(南側)から見たところです。南北線は、写真左(南西)から右奥(北)に向かって建物⑦と建物⑧の手前を半径180m曲線で通過し、本郷通の下に入り込みます。

 よく見ると建物⑦と建物⑧は本郷通から少し引っ込んで立てられています。建物⑦は1991年竣工、建物⑧は2003年竣工で、いずれも南北線着工(1989年)よりあとです。すでにシールドトンネルの通過位置は確定していたはずですから、本郷通の拡幅用地という意味も兼ね、基礎が干渉しないように道路から少し引っ込ませたと考えられます。

4.まとめ

 西片二丁目交差点の先の経路設定に際しては、アンダーピニングによる建設費増大を避けるために建物⑥の真下を通過しないよう経路設定した可能性が大きそうです。南北線東大前駅南方で路線がぐにゃぐにゃ曲がっているのはこのような背景があるように思われます。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…

【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。