1.はじめに
「東京メトロ東西線のトンネルはどこにあるか」を連載しています。
東西線の都心から西側は基本的に早稲田通の下を走っていますが、途中何か所か民有地の地下を走る区間があります。今回は神楽坂駅東側の民有地地下通過区間に関してです。ちなみにこの区間に関しては、珍しくほとんどの地図が正しい経路を記載しています。
2.神楽坂駅東側の民有地地下通過経路
東西線の高田馬場駅から九段下駅までは、1962年(昭和37年)10月着工、1964年(昭和39年)12月開業です。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」収録の1963年6月撮影の写真(写真1)を参照すると、開削工法で建設したトンネル直上にはまだ建物がほとんどなく、東西線の経路がよくわかります。ちなみにこの区間(ほぼ写真1~2の範囲)は道路幅が狭いため、下段A線(西船橋方面行)、上段B線(中野方面行)の2段積みトンネルとなっています。
開業後約半世紀以上経過した近年の空中写真(写真2)を見ると、早稲田通の真下から大久保通の真下に移っていくあたりは東西線トンネルの経路がわからなくなっています。
写真3は写真1の拡大、写真4は写真2の拡大です。両写真中の青点線は東西線トンネルの位置を示しています。写真4中の●印と▲印は東西線トンネルと道路の交点を、①~⑫は建物を示しています。なお、この範囲にはふたつの換気塔があります。
3.東西線の真上の風景
赤城神社参道の入口を早稲田通の反対側歩道から見ると、角に黒い建物①が建っています(写真5)。そして、その奥には音楽之友社の建物②と③が並んで建っています(写真6)。建物②は音楽の友ホール、建物③は音楽之友社の本社ビルです。
建物①と建物②の間の道に入ると換気塔が見えます(写真7)。この換気塔、東西線トンネルのすぐ脇にあるわけではありません。トンネルそのものは早稲田通の下にあります。ではトンネルから換気塔までの間はどうなっているかというと、建物①地下に水平方向の風道があるのです。
建物①の1階はコンビニエンスストアですが、東西線の電車が行き来するたびにこの地下を空気が通って換気塔(写真7)から出入りするわけです。建物①は「東西線の真上ではないが、東西線の施設の上に建っている」ということになります。
西方からまっすぐ進んできた早稲田通は、音楽之友社の前で曲がっています(写真8)。それに対し、東西線は写真奥(西)から手前(東)に向かってそのまま直進し、写真8手前右側の建物③(音楽之友社本社ビル)の下に入り込みます。
建物③(写真9)は、東西線トンネル建設当時から建っていました(写真3)。東西線建設史によると、この建物の基礎は3×3=9基の独立基礎で基礎杭はありませんでした。東西線トンネル構築に際してはトンネル北側に4本、南側(早稲田通側)に3本、長さ22mの杭を打設しているます。つまり建物の約1/3(早稲田通側)のみ新たな基礎杭で支えられ、残り2/3は従来のまま基礎杭無しで地山に載っているわけです。埋立地などではとても採用できない工法ですね。
建物②(音楽の友ホール)は建物③(音楽之友社本社ビル)と異なり、早稲田通から少し後退して建てられています(写真5,6,9)。これは基礎構造が複雑になるのを避けるという意味もあると思いますが、音楽ホールという性格上、振動の伝搬を少しでも減らすことを目的として東西線トンネルから構造的に隔離したものと考えられます。
私はこの音楽の友ホールに入ったことはないのですが、音楽之友社HPを参照するとホール内部は大理石や御影石を多用しているそうです。重くすることにより地下鉄からの振動伝搬を減らそうということのように思われます。
建物③の下から民有地の地下にもぐり込み始めた東西線トンネルは、この先は完全に民有地の地下を進みます。写真10は赤●印(写真4)の場所で、右(西)から左(東)に向かって東西線は走っています。
4.まとめ
神楽坂駅の東、赤城神社参道入口付近から東西線は民有地の地下にもぐり込みます。もぐり込み始める場所には「地下に風道がある建物」「石の内装で重くした音楽の友ホール」「基礎の下受工事を実施した音楽之友社の本社ビル」が建っています。
以上
ちかてつの
さかてつでした…
【注記】
写真1~4は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データ(MKT636-C7-18、CKT20176-C17-20)を私が編集・加工したものです。