丸ノ内線は、日枝神社鳥居(写真1)の下を通って外堀通に出て来ます。この先、赤坂見附駅までこの道路の下を走っていることは明白です。ただ、せっかくここまで番号順に換気口をたどってきたので、この先も換気口の番号と場所を確認したくなりました。
最初に、建設史記載の番号と現地換気口No.の対比をまとめておきます。
建設史 現地換気口No. 場 所
101 100 外堀通中央分離帯
102 101 プルデンシャルタワー前
103 101-2 赤坂見附交差点歩道橋下
まずNo.100換気口ですが、建設史によると日枝神社鳥居(写真1)のすぐ近くです。しかし、外堀通両側の歩道を何回行き来しても見つかりません。当初の予定が変更になって現実には設置されなかったのだろうかと思ったりしましたが、何となく不自然です。
ふと思って、Googleマップ(航空写真)でこのあたりを探してみると…見つかりました。換気口があった場所は、なんと中央分離帯(写真2および3)です。中央分離帯と言っても横断歩道のすぐ脇なので、その状況は簡単に確認できます。写真1にもNo.100換気口の場所を黄↓印で記してあります。
丸ノ内線トンネルの位置を考えるとNo.100換気口の位置は納得ですが、中央分離帯にあるというのは予想外でした。地下鉄が道路の下を走っていることが明らかでも、その換気口が歩道上にあるとは限らないということです。先入観を持ってはいけませんね。
次のNo.101換気口(写真4)ですが、これは素直に歩道上に設置されています。場所はプルデンシャルタワーの前です。ここは昔、ホテルニュージャパンがあったところで、建設史の赤坂見附駅に関する図に「通風口」と記されていると共に、ホテルニュージャパンの特徴ある建物の形が一部記載されています。
余談ですが、ホテルニュージャパンは1982年2月に火災を起こしました。これだけでも大事故だったのですが、翌日にはなんと羽田空港で飛行機が墜落します。こんな大事故が2日連続して起こるとは…と驚いたものです。
さて、その次はNo.102換気口ですが、建設史に103と記された場所には歩道橋(写真5)があります。もしかすると…と思ってその下を見ると、換気口(写真6)がありました。ただし、この換気口に記された番号は「NO.101-2」です。No.101換気口から約260mも離れているのにその換気口の枝番となっている理由はわかりません。順番的にはNo.102換気口ということになります。
これらの換気口位置を航空写真に記入すると、写真7のようになります。数字は現地換気口No.です。ベルビー赤坂の地下には、銀座線と丸ノ内線の赤坂見附駅があります。
以上の通り、今回ご紹介した区間に関して丸ノ内線は素直に外堀通の下を走っています。
【参考資料】
1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道丸ノ内線建設史(下巻)」帝都高速度交通営団(昭和35年)
P.120先「図77 西銀座・新宿間線路平面図及び縦断面図」
P.124「図81 赤坂見附駅」
P.166「図113 日枝神社鳥居受工事位置図」
P.166「図114 日枝神社鳥居受工事施工図」
P.187「図115 赤坂見附駅拡張工事一般図」
2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)
【注記】
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」でダウンロード可能な空中写真は、出典の明示を行なえば利用可能(申請不要)です。編集・加工等をした場合はその旨記載が必要です。写真7は国土地理院写真データ(CKT843-C12-30)を基に私が編集・加工したものです。