今回は丸ノ内線換気口No.に関してですが、現地換気口No.と建設史(参考資料1)P.120先「図77 西銀座・新宿間線路平面図及び縦断面図」記載のNo.が日比谷公園内でひとつずれ、そのまま連続しているというお話です。文献調査は一次資料(この場合は建設史)に当たるようにしていますが、一次資料と言えども誤りがあるわけです。
なお、この先は換気口の写真ばかりが延々と続きます。
No.80換気口(写真1および2)の所在地は日比谷公園1で、日比谷公園内の日比谷門近くです。建設史にも「80」と記されています。
No.81換気口(写真3および4)の所在地も日比谷公園1で、日比谷公園中央のはにわ付近です。建設史にも「81」と記されています。
この換気口にはNo.82-1(写真5)という文字とNo.82-2(写真2)という文字が記載されています。全体としてNo.82換気口(写真7)ということになります。
ところが、建設史には「82」「83」と二つの数字が並んでいます。ここで現地換気口No.とのずれが生じています。
No.83換気口(写真8および9)の所在地は日比谷公園外の歩道です。建設史では「84」となっており、この先ずっとずれたままとなります。
No.84換気口(写真10および11)の所在地は霞が関一丁目2、霞ヶ関駅B3a出口の近くで、道路南側の歩道です。建設史では「85」となっています。
No.85換気口(写真12および13)の所在地は霞が関一丁目1、弁護士会館と東京高等裁判所の間付近で、No.84換気口と異なり道路北側の歩道です。建設史では「86」となっています。
No.86換気口(写真14および15)の所在地は霞が関一丁目2、農林水産省の前で、No.84換気口と同じく道路南側の歩道です。建設史では「87」となっています。
No.87換気口(写真16および17)の所在地は霞が関一丁目2、農林水産省の前で、No.86換気口と同じく道路南側の歩道です。距離にして2~30mしか離れていません。建設史では「88」となっているだけでなく、道路北側の歩道に設置されていることになっています。建設史記載「88」の場所に(No.を問わず)換気口は存在しません。
No.88換気口(写真18および19)の所在地は霞が関二丁目1、霞ヶ関駅A3a出口の前で、道路北側の歩道です。建設史では「89」となっています。
No.89換気口(写真20および21)の所在地は霞が関二丁目1、総務省消防庁と国道交通省の間付近で、道路北側の歩道です。建設史では「90」となっています。
No.90換気口(写真22および23)の所在地は霞が関二丁目1、外務省上交差点で、道路北側の歩道です。建設史では「91」となっています。
以上、延々と換気口の現地写真を掲載しましたが、下記のような状況です。一次資料であるとは言え、建設史(参考資料1)が必ずしも正しいわけではありません。
(1)日比谷公園内No.82換気口以降、No.がひとつずれている。
(2)No.87換気口は、建設史「88」とNo.がひとつずれているだけでなく、設置されている場所も歩道南北という相違がある。