旧産経新聞社の謎

 山下架道橋付近を丸ノ内線がどのように走っているかを調べるうちに、あることが気になり始めました。参考資料1のP.105には「西銀座駅を出ると、丸ノ内線は高速道路と交差したのちに旧産経新聞社建物の下にかかる」という内容のことが記されています。またP.106の「図70 旧産経新聞社建物下受工一般図」を参照すると、この建物の真下を丸ノ内線が斜めに突っ切っています。

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写真1 JR線と高速道路の間の道

 それでは、この旧産経新聞社はどこにあったのでしょうか? 私は最初、JR線の西側に建っていたと思っていました。なぜなら、参考資料1のP.106の「図70 旧産経新聞社建物下受工一般図」によると、旧産経新聞社の建物は丸ノ内線トンネルの幅の7割程度すなわち6~7mあるからです。いくらなんでもこの細い道(写真1)には納まらないだろう…ということで、JR線西側だと思っていたわけです。
 しかし改めてこの建物の基礎構造を見ると、JR線西側の現地状況と矛盾します。それではいったいどこにあったのか…しばらくの間、謎でした。

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写真2 新幹線高架下

 ある日、山下橋架道橋に関して記事を書くために参考資料1を見ていて、P.130「図87 第一有楽町橋付近平面図」の上(東海道本線の東側)に、P.106の「図70 旧産経新聞社建物下受工一般図」と同様の基礎図が部分的に記載されていることに気づきました。
 そうなのです。丸ノ内線が開通した時、まだ東海道新幹線は着工しておらず、東海道本線の東側は写真1の道ではなく東海道新幹線の用地だったことを思い出しました。ということは、現在耐震工事中の新幹線高架下(写真2)となっている場所に旧産経新聞社はあったということになります。

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写真3 新幹線高架(2014年撮影)

 ちなみに耐震補強工事前の新幹線高架の状況(写真3~4)を掲載します。なかなか素敵な雰囲気の飲食街でした。

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写真4 新幹線高架下(2015年撮影)

 さて、旧産経新聞社が現在の新幹線高架橋の場所(写真2)に建っていたという推定はできましたが、そこに本当に建物があったという証拠がほしくなりました。まず産経新聞社HPを調べてみたのですが、現在の場所に移転したという記述こそありますが、移転前がこの場所(有楽町二丁目)だったとは記されていません。

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写真5 航空写真(1957年撮影)

 そこで、丸ノ内線が建設される少し前の年代の国土地理院の航空写真を探したところ、問題の場所に建物が建っていました(写真5)。これは国土地理院写真データ(1957年撮影)の一部を切り取ったものですが、赤↓印部にうなぎの寝床のような建物が見えます。この建物の西側は東海道本線(列車線)で、新幹線の工事はまだ始まっていません。建物の東側には工事中の東京高速道路が見えますが、数寄屋橋の上はまだつながっていないことがわかります。
 推定した場所に建物があったことはわかりましたが、これが参考資料1のP.105「写真63 旧産経新聞社」と同一であるという証拠は見つかっていません。謎は未だに残ったままです…。

【参考資料】
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道丸ノ内線建設史(下巻)」帝都高速度交通営団(昭和35年)
 2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)

【注記】
 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」でダウンロード可能な空中写真は、出典の明示を行なえば利用可能(申請不要)であり、さらに編集・加工等をした場合はその旨記載が必要であるとのことです。上記の通り、写真5は国土地理院写真データ(KT572YZ-C1-30:1957年撮影)を基に私が編集・加工したものです。