丸ノ内線は中央区のどこを走っているか

 丸ノ内線はたかだか600m程度ですが中央区を走っています。今回は中央区内の区間の北半分、晴海通までに関してです。

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写真1 東京高速道路

 東京高速道路(写真1)は、外濠川を埋めて建設された高速道路です。もともと外濠川が千代田区中央区の境目だったため、現在はこの高速道路が区境になっています。ただし、どこが区境かは未定です。今後もおそらく未定の状態が続くことでしょう。写真1に写っている範囲には銀座INZ2が入っていますが、銀座インズHP会社概要の中の所在地が中央区銀座「西」二丁目2番地「先」となっているところに事情の複雑さを感じます。ちなみに中央区銀座西は1960年代後半の住居表示で銀座に吸収されており、現在「銀座西」という住所はありません。

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写真2 換気口(新有楽橋東詰)

 参考資料1のP.98「図65 有楽橋付近締切工一般図」を参照すると、半径150m右曲線で外濠川(現在の東京高速道路)の下を突っ切ってきた丸ノ内線は新有楽橋東詰で外堀通の下にもぐり込みますが、まさにその場所に換気口(写真2)があります。新有楽橋東詰は現在の銀座西二丁目交差点です。上記のごとく銀座西という住所はありませんが、交差点名として銀座西が残っています。
 外堀通に面してマロニエゲート銀座2があります(写真3)。私などはこの建物を見るとつい「プランタン銀座」と言ってしまいますが、時代は変わりました。そしてその隣には丸の内TOEI(写真4)が建っています。TOEIなどと英語で書くと東映ではなく都営と読んでしまいそうです。

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写真3 マロニエゲート銀座2

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写真4 丸の内TOEI

 さて、今回重要なのは建物ではなくて丸ノ内線の経路です。参考資料1のP.113「図72 数寄屋橋付近下水管移設平面図」を参照すると丸ノ内線は外堀通の下を大きく膨らんで走っており、丸の内TOEIの前にまで達していることがわかります。

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写真5 換気口(丸の内TOEI前)

 参考資料1のP.69には「図45 西銀座駅」が掲載されています。当時の地名「銀座西」に対して駅名は「西銀座」です。本図の左端に通風口という記載がありますが、これが丸の内TOEI前の換気口(写真5)です。丸ノ内線は外堀通の中央ではなく、歩道の縁まで大きく片寄って走っています。この先も半径150mで右に曲がり続けながら銀座駅(写真5奥)へ向かっています。
 ちなみに丸ノ内線建設当時はまだ日比谷線がまだ開通しておらず、中央通の下を走る銀座線の銀座駅と離れていました。そのため丸ノ内線は西銀座駅と称しており、日比谷線開業時に3路線の駅が一体となって銀座駅となりました。参考資料2を参照すると銀座総合駅という表現があります。「総合」とはずいぶん大げさな感じですが、当時の営団地下鉄には銀座線、丸ノ内線日比谷線の3路線しかなく、それらがすべて集まる駅だからということで「総合」という表現になったのでしょう。

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写真6 数寄屋橋公園

 外堀通の下を半径150m右曲線で曲がって銀座駅に入った丸ノ内線トンネルは半径300mにゆるくなり、数寄屋橋公園(写真6)の下にもぐり込みます。銀座駅はこの先晴海通と交差してから数寄屋橋公園南半分の下にまっすぐ向かいます。JR有楽町駅で降りて銀座四丁目交差点方面に向かう際、数寄屋橋交差点で信号待ちすることがあろうかと思いますが、とんがり帽子の交番の下は丸ノ内線銀座駅です。 

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写真7 銀座駅C5出口

 丸ノ内線の経路をたどってみて、中央区の端を走っていることが改めて良くわかりました。銀座駅のC5出口(写真7)、C7出口は西銀座デパート地下(東京高速道路の下)に直結していますが、半世紀ほど時計を逆回しすると西銀座デパート(東京高速道路)は外濠川。そう思うと、写真7の奥がすべて水に見えてきました…。

 

【参考資料】
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道丸ノ内線建設史(下巻)」帝都高速度交通営団(昭和35年)
 2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)
 3.人文社編「古地図・現代図で歩く 昭和三十年代東京散歩」人文社(2004年)
 4.銀座インズHP