有楽橋と新有楽橋の下を走る丸ノ内線

 丸ノ内線が全線開通してから半世紀以上経過しています。建設当時の資料を調べていると「ここは現在のどこなのか?」という場所がいろいろ出てきます。今回「?」と思ったのは有楽橋と新有楽橋でした。

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写真1 東京スポーツスクエア

 現在東京スポーツスクエアがあるところにはもともと都庁がありました。1000days劇場として建てられたプレハブの建物(写真1)が未だに使われています。Loftや無印良品などが入っていた時期もありましたが、現在はオリンピックの情報発信拠点として使われています。プレハブの割にはずいぶん長寿命です。
 さて、この建物ですが、丸ノ内線の真上に建っています。丸ノ内線A線の電車は、写真1の中心をまっすぐに奥から手前に向かって走っています。

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写真2 有楽町駅D9出口

 東京スポーツスクエアの前には有楽町駅D9出口(写真2)があります。東京メトロの路線のうち有楽町駅を通るのは有楽町線だけですが、実はこのD9出口のすぐ脇を丸ノ内線が走っています。もちろん停車はしません。参考資料2の有楽町線建設史P.455「図19 有楽町駅」の地下1階平面図右端にはD9出口へ至る階段(写真3参照)が記されており、その右側(東側)をかすめるように丸ノ内線トンネルが記載されています。

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写真3 有楽橋駅D9出口階段

 有楽町駅の北側には東西方向の地下通路があります。これは有楽町線トンネルの上部ですが、この通路を東に向かって歩いていくとD9出口階段の下で突然途切れます。壁から10mと離れていないところに丸ノ内線トンネルがあるからです。

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写真4 東京交通会館北側

 東京スポーツスクエア(写真1)の前で東京交通会館の方を撮影したのが写真4です。手前の足元にあるのは丸ノ内線の換気口です。丸ノ内線A線は手前から奥に向かって真っすぐ走っています。
 ここから先の経路は、参考資料1のP.99「図65 有楽橋付近締切工一般図」にその詳細が記載されています。「有楽橋西詰角まで一直線に進んだのち半径150m右曲線で外濠川の下を進み、新有楽橋東詰に向かって突き抜けている」という内容なのですが、最初これを見た時、有楽橋と新有楽橋の意味がわかりませんでした。外濠川が埋め立てられたことは知っていましたが、そこにかかっていた橋の名前を全部覚えていたわけではないからです。
 参考資料4でこのあたりを調べてみると、有楽橋、新有楽橋いずれも記載されていました。有楽橋は写真4の左奥にかかっていた橋です。そして新有楽橋はその1本南側の道路にかかっていた橋です。このことを頭に入れて再度参考資料1のP.99「図65 有楽橋付近締切工一般図」を見たところ、すっきり理解できました。

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写真5 東京高速道路

 東京高速道路(写真5)は、外濠川を埋めて建設された高速道路です。丸ノ内線とほぼ同時に建設されており、銀座INZを始めとした店舗が入っています。こうして見ると、この下を丸ノ内線が斜めに突っ切っているようには見えません。何か証拠となるようなものがないか探してみましたが、地上では何も発見できませんでした。
 それでは地下に何かないだろうかということで銀座INZの地下1階に下りてみましたが、やはり丸ノ内線が走っている証拠は見つかりませんでした。地下1階の床に耳をつければ丸ノ内線の走行音が聞こえるように思いますが、さすがにそこまでやる勇気はありません。

 ところでこのあたりの丸ノ内線の走行経路が地図に正しく記載されているかどうかという件ですが、残念ながら国土地理院の地形図、Yahoo!地図は、50m近く東側にずれて記載されています。Googleマップにしても正確とは言いがたいように思います。このあたりが地下構造物に関する精度の限界のようです。

【参考資料】
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道丸ノ内線建設史(下巻)」帝都高速度交通営団(昭和35年)
 2.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道有楽町線建設史」帝都高速度交通営団(平成8年)
 3.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)
 4.人文社編「古地図・現代図で歩く 昭和三十年代東京散歩」人文社(2004年)