神田川に沿って目白通りの下を走って来た有楽町線は、飯田橋の交差点で外堀通りの下にもぐり込みます。しかしここでも道路から若干外れて民有地の下に入り込んでいます。
1.文献確認
建設史P.432先の平面図及び縦断面図によると、飯田橋交差点付近において有楽町線は半径350m右曲線で曲がり始め、途中から半径160mにきつくなり、外堀通りにもぐり込んでいます。このアンダーピニングたりにおいて有楽町線トンネルの位置を特定できるのはP.448図14として掲載されている飯田橋駅平面図です。そのほか、P.630~632にはサイフォン下水切回し工事に関して、P.632~634には東西線下受工事(アンダーピニング)に関して記載があり、結構厄介な工事だったことがわかります。
ところで、建設史P.432先の縦断面図には「東海ビル(近接)」と注記があります。しかし地図を調べると、それと思われる建物に「飯田橋美幸ビル」と記されています。美幸ビルディングという会社の所有物件のようなのでHPを見たところ、同社は1978年に東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)系の不動産管理会社として設立されたとのこと。東海銀行は2002年に合併により消滅していますが、たまたま手元に同年発行の地図があったので開いてみると、飯田橋交差点に「東海ビル」の文字がありました。銀行の吸収合併に伴い、ビルの名称が変わったということのようです。ちなみに東海ビル(→飯田橋美幸ビル)が竣工したのは1966年です。
さて、上記の飯田橋美幸ビルと背中合わせに建っているのが相沢ビルです。不動産情報などで調べてみると、この建物は1977年竣工です。したがって、これらの建物と有楽町線の建設順序は下記のようになります。
(1)1966年 東海ビル(→飯田橋美幸ビル)竣工
(2)1970年 有楽町線工事着工
(3)1974年 有楽町線池袋駅-銀座一丁目駅間開業
(4)1977年 相沢ビル竣工
相沢ビルに関してはその建設場所、竣工年、階床数などから推定して、有楽町線トンネルと干渉しないように基礎を構築した上で、トンネルの真上に建築したものと考えられます。
2.現地の状況
有楽町線A線は写真1の右手前から走ってきて、写真中央あたりから右奥(飯田橋駅)に向かって曲がっています。写真2右側の白い建物(小林ビル:1978年竣工)は一部が有楽町線トンネルの上にかかっており、左側に見える茶色の薄い建物はほとんどがトンネルの上と思われます。
写真3は、写真2左側に見える茶色の薄い建物です。この建物だけでなく、右奥に見える白い建物もたぶん有楽町線トンネルの上に建っていると推定されます。しかし、さらにその奥の建物(写真4参照)は年代が一気に古くなり、有楽町線建設工事以前からそのまま(すなわちトンネルの脇に)建っていると思われます。写真5の相沢ビルは有楽町線トンネルの上です。写真5の左側に少し写っているのが飯田橋美幸ビルです。この飯田橋美幸ビルは有楽町線トンネルと干渉していません。
相沢ビルと飯田橋美幸ビルの間に建っている低階床の建物2棟(写真6参照)は有楽町線トンネルの真上にあります。相沢ビル、低階床建物2棟(写真6参照)の下を走ってきた有楽町線は、飯田橋美幸ビルの脇をかすめ、歩道橋の脚の間を通り(写真7参照)、飯田橋駅に向かって滑り込んできます。
写真8は地下の状況です。飯田橋美幸ビルの脇を半径160m右曲線で曲がってきた有楽町線はこのあたりからまっすぐになります。写真奥のユニクロがあるところ(建設史P.448図14には定期券発売所として記載あり)がまだ曲線区間であることがお分かりかと思います。
有楽町線の位置特定のために飯田橋交差点にある建物の名前を調べていたら、銀行合併劇が絡んでいた…というお話でした。
参考資料
1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道有楽町線建設史」帝都高速度交通営団(平成8年)
2.美幸ビルディングHP