日比谷線はどこを走っているか(その2) 水天宮前交差点付近

今回は水天宮前交差点付近の日比谷線の走り方に関してです。

建設史のP.254先に掲載されている平面図および縦断面図によると、人形町駅を出て甘酒横丁交差点を過ぎた地点で人形町通りから外れます。その後約45度方向を変えるまでは半径130m右曲線、その先は半径250m右曲線で新大橋通りに出ます。新大橋通りに出てからは163m右曲線で方向を微調整して曲がり終わっています。細かい位置関係は建設史P.366図75に掲載されています。

「今回は特に悩むようなことはなさそうだな。」と思いながら、現地に出かけました。

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写真1 人形町通りから民有地に入るあたり

日比谷線は、このあたりで人形町通りから民有地の下にもぐり込みます。写真中央と右に白い車が2台写っていますが、これらの車はちょうど日比谷線の真上になります。

 

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写真2 人形町通りから民有地に入るあたり

建設史P.366図75の位置図と比較すると、右奥に見える2軒の建物は日比谷線のトンネル上にないことがわかります。一方、駐車場(Pの標識)は日比谷線のトンネル上になります。日比谷線の走行方向は右奥から左手前です。

 

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写真3 日比谷線直上の建物

写真2を撮影した場所から反対方向を見たところです。右手前の大黒屋、その左奥の白っぽい建物、さらに左奥の茶色の建物(五番街ビル)の下を右に曲がりながら日比谷線は走っています。

 

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写真4 日比谷線直上の建物

写真3と同じ建物を人形町通りの反対側から撮影したものです。日比谷線は中央の茶色の建物(五番街ビル)のところで完全に人形町通りから外れ、この建物の真下に入ります。

この区間が開業したのは昭和38年(1963年)2月28日であり、この建物はおそらくトンネル完成後に建てられたものでしょう。周囲と比べると階床の低さが目立ちますが、日比谷線のトンネルに与える影響を考慮するとこの程度に制限されるようです。

 

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写真5 日比谷線直上の建物(五番街ビル)

写真3および4と同じ茶色の建物(五番街ビル)を、脇の道に入って撮影したものです。日比谷線は右から左奥に向かって走っています。

 

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写真6 日比谷線直上の建物

奥に茶色の五番街ビルが見えます。隣接して左手前に白い建物がありますが、日比谷線はこれらふたつの建物の下を、奥から右手前に向かって走っています。写真右には、まつむらというパン屋さんが少し写っています。

 

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写真7 まつむら

写真6と同じ交差点で向きを変えて撮影したものです。まつむら(パン屋さん)は完全に日比谷線の真上に建っています。日比谷線は、写真左から右に向かって走っています。このあたりから曲線半径は250mになります。

 

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写真8 まつむら

私はまさに日比谷線の真上にいます。P.366図75の位置図と比較すると、まつむらの左端から写真右端の赤いコーンまでが日比谷線トンネルの範囲になります。まつむらの右側の建物が道路から少し引っ込んでいるのは、日比谷線トンネルを逃げるためであることがわかります。

 

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写真9 リガーレ日本橋人形町

このあたり、昔は民家が密集していたようですが、再開発されてリガーレ日本橋人形町になっています。私の真下を日比谷線が半径250mで曲がりながら走っています。写真奥には茶ノ木神社、さらにその向こうにはまつむらがあります。

 

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写真10 茶ノ木神社

リガーレ日本橋人形町の一部として整備された神社ですが、日比谷線はこの真下を右から左に向かって走っています。この位置で少し右を向くとまつむらがあります。

 

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写真11 リガーレ日本橋人形町

この写真の右手に茶ノ木神社があり、日比谷線は右手前から左奥に向かって走っています。日比谷線はリガーレ日本橋人形町の建物の南側(写真左側)と少し干渉しているように見えます。特殊な基礎構造にしているようにも思われたのでいろいろ調べてみましたが、「地下鉄トンネル上の建物」というような資料は見つかりませんでした。

 

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写真12 リガーレ日本橋人形町

リガーレ日本橋人形町について調べたのち、日を改めて現地に出かけました。しばらく建物を見ていて、あることに気づきました。柱(赤↓印)がずいぶん建物の奥(写真右寄り)にあるのです。建物の角(かど)や壁面近くに柱はありません。上空から見ると日比谷線トンネルは建物の外壁に食い込んでいるように見えますが、基礎(柱の根元)は日比谷線トンネルと干渉していないようです。

さらに航空写真でリガーレ日本橋人形町をよく見ると、新大橋通りに対して少し斜めに建っていることがわかりました。「柱を(基礎を)建物の内側に寄せ、さらに建物自体も少し斜めにする」という工夫により、何とか日比谷線トンネルを逃げているのだろうと推測されます。

 

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写真13 リガーレ日本橋人形町(新大橋通り側)

こうして見ると、公開空地が広いことがわかります。日比谷線は奥から右手前に向かって走っています。

写真左手前に換気口が見えます。日比谷線のものかと思いましたが、電車の走行音は聞こえません。換気口の中を見ると写真奥の方に続いていました。リガーレ日本橋人形町の地下駐車場換気用であると思われます。

 

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写真14 リガーレ日本橋人形町(新大橋通り側)

新大橋通りの反対側から見たリガーレ日本橋人形町です。日比谷線は、右奥に見えるクリーム色の建物とリガーレ日本橋人形町の間をすり抜けるようにして、奥から左手前に走っています。このあたりで163m右曲線になって、完全に新大橋通りの下にもぐり込みます。

当初、簡単なように思っていましたが、現地へ行ってみると日比谷線トンネルの位置特定が想像以上にむずかしく、結構手間取りました。

参考資料
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道日比谷線建設史」帝都高速度交通営団(昭和44年)
 2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)
 3.リガーレ日本橋人形町オフィシャルサイト「リガーレ日本橋人形町