地図を見るたび疑問に感じていたのが、飯倉交差点付近における日比谷線の走り方でした。道路の真下を走っているとするとノアビルの前をかなりの急曲線で曲がることになり、無理があるのです。
日比谷線に関しても他の路線と同様、建設史がメトロアーカイブアルバムとしてネット公開されているので、調べてみました。建設史のP.254先に掲載されている平面図および縦断面図によると、飯倉交差点付近においては桜田通りから半径163m右曲線で外れて民有地の下にもぐり込み、半径200mをわずかに挟んで再び半径163m右曲線で外苑東通りの下にもぐり込んでいます。やはりノアビルの前は通っていないのです。
建設史をさらに読み進めると飯倉変電所の記述があり、P.468図10として配置図、平面図、断面図が掲載されています。これによると飯倉変電所の中央付近には地上1階出入口および機器搬入口があります。また同配置図によると、この出入口および機器搬入口がある敷地には営団飯倉独身寮が記載されています。しかし、現在の地図を見るとその場所には麻布偕成ビルがほぼ敷地いっぱいに建っています。航空写真を見てもビルしか見えません。地上にあったはずの出入口および機器搬入口がいったいどうなっているのか…。
現地に出かけました…。
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日比谷線は、このあたりで桜田通りから民有地の下にもぐり込みます。写真中央の前から2台目の車(トラック)のあたりのみ建物の階床が低くて奥が見通せますが、ここが日比谷線の走っている場所です。
写真1の奥を裏通りから見た状態です。写真中央にクリーム色の建物、その隣奥にベージュ色の建物が見えますが、この真下を日比谷線は右奥から左手前に向かって走っています。
写真2の場所から反対方向を見たところです。この立体駐車場の真下を日比谷線は右手前から奥に向かって走っています。
写真3の奥を見た状態です。赤↓印の部分にご注目ください。左側(飯倉変電所の一部)と右側(民有地)で擁壁の構造が異なっていることがわかります。
雁木坂の途中に小さな階段がありますが、この階段に続く路地を進むと港区立雁木坂児童遊園に出ます。「公園」ではないところがその由来を物語ります。この遊園、日比谷線線路の直上に設けられた飯倉変電所の上になります。日比谷線は奥から左手前に向かって走っています。
写真5左奥の白いフェンスを拡大した写真です。このあたり、メトロの管理地なのです。
写真5右奥のフェンスの向こう側には換気口があります。写真4赤↓印左側の換気口を反対側から見た状態です。しばらく待っていると、ごーっという電車の通過音が響いてきました。
雁木坂児童遊園から、西側に隣接する建物を見たところです。この建物は日比谷線線路直上の飯倉変電所の上に建っています。
1本西側の通りに出て、写真8の建物を反対側から撮影したものです。写真中央付近の黄色い建物が日比谷線直上の建物です。
いちばん気になっていた場所ですが、この状況を見て思わず「あっ!」と声を上げてしまいました。地上から突き出た構造物(飯倉変電所の地上1階出入口および機器搬入口)を跨ぐように麻布偕成ビルディングが建てられているのです。航空写真で変電所が見えないはずです。やはり現地へ行ってみないとわからないものです。
この角度で見ると、麻布偕成ビルディングと飯倉変電所の位置関係がよくわかります。ビルの荷重が変電所にかからないような構造になっています。
ところで、リアルゲイト社HPで麻布偕成ビルディングを検索すると、このビルの1階と地下1階の間取り図が出てきます。1階は、飯倉変電所と日比谷線が存在するところに柱がありません。おそらく基礎は飯倉変電所と日比谷線を跨ぐように設けられているのでしょう。同じく1階の飯倉変電所地上構造物がある部位は、当然ですがビル側がかき取られています。さらに地下1階は、南側の一部のみしかありません。中央付近には飯倉変電所が存在しているためです。
外苑東通りのロシア大使館前から撮影した麻布偕成ビルディングです。1階の大半が駐車場になっていることがわかります。
南西部の1階を拡大した写真です。この駐車場の真下を、右奥から左手前に日比谷線は突き抜けています。日比谷線が走っている部位には柱がないことがよくわかります。
麻布偕成ビルディングの真下を突き抜けた日比谷線は、このあたりで外苑東通りの真下にもぐり込みます。
場所柄とにかく警官が多く、何となく撮影しにくい雰囲気でした。
参考資料
1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道日比谷線建設史」帝都高速度交通営団(昭和44年)
2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)
3.リアルゲイト社HP「麻布偕成ビルディング」