このあたりはもともと外堀が区境で、外堀が埋められたあとも区境がそのまま残っています。地価の高いところですから区境の位置は明確に定められていると思うのですが、境界標が見つからないため意外とその位置特定がむずかしいのです。それでも現地にはいくつかの証拠物件がありました。
呉服橋交差点の角、呉服橋の跡で撮影した写真です。この建物はすでに取り壊されて現存しませんが、外堀の埋立地に建っていました。外堀の跡ということは、この写真のどこかに区境があるということです。しかし、その場所ははっきりわかりませんでした。
その後、この場所は再開発されることになりました。ビル跡は白い塀で囲まれて写真2のような「お知らせ」が設置されましたが、うれしいことに区境が明記されています。これで位置の特定ができるようになりました。
日本橋川を渡る常盤橋から大和呉服橋ビル跡再開発現場を見た写真です。外堀と区境は、私の足元からまっすぐビル跡に向かって伸びています。よく見ると、フェンスの色が異なります。
写真3のフェンスを拡大した写真です。左側(中央区側)は緑、右側(千代田区側)は茶色になっています。フェンスの境目はまさに写真2記載の区境に一致しています。
大和呉服橋ビル再開発現場前の歩道です。黄色く縁どられたマンホールの手前(西側)に継目が見えます。写真2と照合すると、まさに区境の位置です。
永代通を渡り、鉄鋼ビル前の歩道を撮影しました。よく見ると、わざわざ短冊のように細い石材を用いて継目が設けられています。ここも区境の位置であり、写真5の継目(区境)の延長線上になります。
なお手前に金色のものが見えますが、これは「国土交通省」の道界であり、区境を示すものではありません。やはり区境には境界標を設置しておいてほしいものだと思いました。