このあたり、中野区と練馬区の区境です。
100年ほど前の地図を参照すると畑や果樹園で、その中を村落どうしの境目が走っています。平坦な土地が広がる中、東西方向に走る水路が目立ちます。千川上水です。千川上水は玉川上水から分岐して江戸北部に水を供給するのみならず、流域の農業用水としても大いに機能していたそうです。千川上水というより千川用水と称した方が適切かもしれませんね。
この千川上水は現在大半が暗渠になっており、その経路は千川通りとしてたどることができます…が、ここでは千川用水ではなく境目をたどります。
畑の中(現在は住宅や学校)を通り抜けた区境は、千川通りにぶつかります。写真の左側が中野区、右側が練馬区ですが、正面の建物は中野区です。区境はこの建物の右側を回り込んで左奥に続いています。
千川通りを渡ったところで振り返るとこんな感じです。右側の歩道の脇にΛ形のタイル貼りの土地が見えます。おそらく私有地でしょうけど、実質的に歩道の一部になっています。しかし、Λ形の土地の脇の煉瓦や先端に立てられた黄色の鉄棒が自己主張しているように見えます。区境は、この黄色の鉄棒をぐるりと回り込んでこの細い道路に入ってきます。
ふじみ銀座の近くの区境です。左(南)は中野区、右(北)は練馬区という場所です。このあたり、中野区の最北部になります。
区境は、右奥(写真3の道路)から手前に曲がってきて、ぎょうざ屋の前で左に曲がります。いかにも区境らしい光景です。クランク状の曲がり方は100年以上も同様で、このあたりは針葉樹が生えていたようです。
ふじみ銀座脇の路地です。境目らしさが漂っていますね。左(北)は練馬区、右(南)は中野区ですが、ちゃんと中野区の標識が立っていて「ここより中野区」と記されています。路地で自己主張してもあまり目立たないように思いますが…。
路地のど真ん中に電柱が立っています。この電柱は中野区(写真左)と練馬区(写真右)どちらなんだろうと思って調べてみると、中野区側の住所の表示板が取付けられていました。立てかけられている看板も中野区のものです。この電柱に練馬区の看板が立てかけられていたら、火花が散るんでしょうね。
反対側から見た電柱です。通せんぼするように区境の路地入口に立っていることがよくわかります。美しい光景です。
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江戸時代から千川上水は存在していたわけですから、それを境目にすればよさそうなのに、なぜか100年以上前から境目は千川上水の北側にはみ出しています。電柱も道路にはみ出しているし(関係ないか…)、すっきりと割り切れないところが境目のおもしろさだと思います。