隅田線…はて? 京成電鉄か? 東武鉄道か? いえ、いずれでもありません。東京電力です。走っているのは電車ではなく66kV三相交流です。
ある日、某所を歩いていたら写真1のようなちょっと変わった2本一組の送電塔が目に留まりました。
接近すると写真2のように見えます。形と色、いずれも素敵です。
写真3はさらに接近して見た送電塔です。1本しか見えません。写真4に示したように「No.甲-4」と記されています。「No.4-甲」ではないんですね。
それではもう1本はどこにあるかというと…なんと、写真5のごとく道路の向かい側の住宅敷地内にあります。こちらは「No.乙-4」です。「No.4-乙」ではありません。
2本の送電塔No.乙-4とNo.甲-4の位置関係は写真6のようになっています。上を見上げると写真7のような感じです。No.乙-4とNo.甲-4はつながっていません。道路の左右に独立しているのです。強い風が吹いて揺れたら上部が絡み合ってしまいそうです。ずっと奥には送電塔No.3が見えます。
写真8はNo.乙-4とNo.甲-4の上部を拡大したものです。それぞれに66kVのU相V相W相の送電線がぶら下がっています。架空地線はNo.甲-4にしかありません。ちなみに架空地線とは送電線への雷の直撃を防ぐためのもので、送電塔を通じて地球に接続されています。空に架けられた地面と同電位の線という意味です。
青空と白い雲、そして淡緑色の送電塔…美しい風景です。
写真9はとなりの送電塔No.3を拡大したものです。こちらは普通の形状です。
ところで、写真5に示した通り送電塔No.乙-4は住宅の敷地内にあります。「敷地内に送電塔を建てることをよく了解したものだ」「なぜこんな面倒な建設方法にしたのだろうか?」と思いました。この送電塔だけ他と形状が異なっていて新しそうという点も気になりました。
世の中にはいろいろな趣味があるもので、鉄道趣味と似たものとして鉄塔趣味があります。その方々のサイトを拝見すると、隅田線のNo.4送電塔は1980年(昭和55年)9月、となりのNo.3送電塔は1960年(昭和35年)10月、その他の送電塔も多くは1960年(昭和35年)に設置されている旨記されています。つまり、隅田線そのものは1960年ごろ完成したということのようです。
それでは…ということで、国土地理院の空中写真を調べてみました。
【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。
送電塔のようなものが写っています。ただし現在とは異なり、道路の中央にあります。送電塔を囲むように広場のようになっていることがわかります。
不鮮明ですが、状況は写真10と変わっていません。
送電塔の西側(写真左側)の建物が一部建替えられたようですが、送電塔が道路の中央にあり周囲が広場状になっていることは変わりありません。
変化がありました。道路の中央にあった鉄塔が見えなくなっています。道路の左右に送電塔があるかどうか識別しにくい状況ですが、北北東(写真右上)に向かってはっきりと送電塔の影が写っています。2本の送電塔と道路との間な境目は不明確です。
この写真を見ると送電塔と道路の間に塀が設けられていることがわかります。東側に関しては、集合住宅建替えと同時に現状のようになったようです。
さて、話をまとめるとこういうことになります。
(1)1960年ごろに隅田線が完成した時点ではNo.4送電塔は一般的な形状で、道路の中央にあった。周囲は広場状になっていた。
(2)おそらく「クルマの通行に支障がある」というような理由で、1980年に現在のように2本に分離され、道路をまっすぐにした。
(3)広場状になっていた道路用地は「送電塔込み」で住宅用地となった。
「住宅用地に送電塔を建てた」のではなく、「送電塔が建った道路を住宅用地に用途変更した」が正しいようです。
以上
さかてつでした…