池袋駅21番出口の謎

1.はじめに

 50か所ほどある池袋駅出口ですが、中にはその経緯がよくわからないものもあります。それが今回取上げる21番出口です。

2.そもそも21番出口はどこにあるか

 池袋駅とその周辺には案内地図が数多く設置され、そこには出口の番号が記されています。しかし21番出口に関しては、それが記載されている案内地図と記載されていない案内地図が混在しています。

写真1 21番出口記載の案内地図

 写真1は池袋駅東口の歩道に設置された案内地図で、21番出口が記載されている例です。「現在地」のすぐ脇には27番出口があり、26番出口の方を見ると斜めに離れたところに21番出口があることになっています。

 

写真2 27番出口

 案内地図(写真1)のすぐ脇には写真2のように27番出口があります。27番出口の奥にちらりと見えているのは26番出口です。ということは、左奥に21番出口があるはずです。そこにはPARCOの出入口があるので、これが21番出口なのでしょうか。

 

 PARCOの出入口から建物内に入り、(21)という表示を探します。ところが数字は見つからないまま、建物内の階段を通り抜けて地下のチェリーロードに出てしまいました。

写真3 チェリーロード脇の階段

写真4 チェリーロード脇の階段

 PARCOの建物を出てからチェリーロードをほんの数m南下すると、写真3のような場所があります。階段です! 位置的に21番出口のようですが、(21)という数字は表示されていません。写真4のように搬入口&社員用通路と記されています。

写真5 歩道からの風景

 再び地上に出てからPARCO出入口前の歩道(写真5)から搬入口&社員用通路(写真3および写真4)があるあたりをよく見ると…

 

写真6 21番出口

写真7 搬入口&社員用通路

 何と、地上から高さ3mほどのところに(21)という表示がありました(写真6)。普通に前を向いて歩いていたら気づきません。人の流れが途切れた一瞬を狙って、歩道から搬入口&社員用通路の地上部(写真7)を撮影しました。

3.疑問と推論

 池袋駅21番出口は、PARCO南側の搬入口&社員用通路であることがわかりました。しかし、一般人通行禁止である搬入口&社員用通路に番号が振られ、逆にすぐ近くのPARCO出入口に番号が振られていないのはなぜなのか、疑問を感じます。

 理由はいろいろ考えられますが、たとえば「昔、チェリーロードから地上への通路はこの21番出口だけで、一般人通行可能だった。その後、すぐ脇のPARCOに新たな出入口と階段が設けられたので、21番出口は搬入口&社員用通路となった。」という推論も成り立ちそうです。

4.文献調査

 PARCOは昔、東京丸物(まるぶつ)百貨店でしたが、写真5の出入口はいつからあったのか調べてみると、下記の記事が見つかりました。現在と同じ位置に出入口がはっきり写っています。

 ちなみにこの写真の撮影時期は、丸物の前にあるふたつの出口(左側:現在の26番出口 右側:現在の25番出口)が池袋地下道駐車場(現在のISP:1964年開業)のものであることから、1964年以降撮影であることが特定できます。

 さらに、下記参考文献(国立国会図書館デジタルコレクションに登録すると閲覧可能)を参照すると、PARCO南エリア内(写真5出入口の奥)には丸物時代から階段があったことがわかります。ただ残念なことに参考文献の図には丸物の池袋地下道駐車場側(PARCOのISP側)までしか掲載されておらず、チェリーロード付近(21番出口付近)の状況はわかりませんでした。

 一方、池袋地下道駐車場開業に伴い、チェリーロードから西武百貨店内を経由して池袋地下道駐車場(ISP)に至る通路と階段が設けられ、26~27番出口などから地上に出られるようになったということはわかりました。

参考文献
 小笠原正巳「池袋地下道地下駐車場」『建築と社会 1963年10月号』日本建築協会,1963
 小笠原正巳「都市計画事業と特許会社 -池袋地下道駐車場事業の概要-」『新都市 昭和39年10月号』都市計画協会,1964

5.案内地図修正漏れの有無

 次の疑問は、「一般人通行禁止なのに、なぜ21番出口が案内地図に記載されているのだろうか」という点です。搬入口&社員用通路ならば、一般人に対して案内する必要はありません。「いつの頃からか一般人通行禁止になったが、案内地図は昔のまま、すなわち21番出口の消去が漏れている」ということなのでしょうか。

写真8 19番出口前の案内地図

写真9 19番出口前の案内地図

写真10 文化観光課の記述

 そこで、「いつ設置されたのか」「いつ記載内容を訂正したのか」を確認するため、21番出口が記載されている案内地図を片っ端から再調査してみました。図面などとは異なり、案内地図に訂正年月は記載しないものなのだということを認識させられましたが、それでも丹念に探していくうち、21番出口と共に「文化観光課 T45M 2020.11」と記された案内地図(写真8~10)を見つけました。場所は19番出口の前です。豊島区文化観光課のHPに掲載されているガイドラインに従って作成されたもののようで、2020.11は内容確認した年月と推定されます。

 他の21番出口記載の案内地図も現物の状況より設置時期は写真8と同等と考えられ、どうやら案内地図の訂正漏れというわけではなさそうです。「一般人通行禁止であるにもかかわらず、案内地図に記載している」というわけです。

6.考察

写真7 再掲載

 以上のことを意識しながら、改めて写真7(搬入口&社員用通路)を眺めてみました。各種配管、ケーブルが露出しています。消火用の送水口もあります。直近10~20年に一般人通行可能な通路だった雰囲気はありません。ただし、これらの設備は追加設置された可能性も高そうですし、半世紀ほど前なら装飾がない通路は珍しくありませんでした。となると、次のようなことも可能性として考えられます。

 

 ①丸物が開業して現在のチェリーロードが開設された頃、21番出口は一般人通行可能な通路・階段だった。
 ②池袋地下道駐車場開業(1964年)と同時に、チェリーロードから西武百貨店内を経由して池袋地下道駐車場に至る通路が開設された。
 ③地下鉄有楽町線開業(1974年)の頃、池袋駅の出口に番号を振るようになった。
 ④上記②に起因して、一般人は次第に21番出口の代わりに26~27番出口を使うようになった。
 ⑤21番出口を一般人通行禁止の搬入口&社員用通路に用途変更した。ただし、搬入業者、社員、消防隊員に対する案内として21番出口の表示(周辺の地図掲載含む)は継続している…

 ただし上記①③④⑤に関して、それを裏付ける証拠はまだ見つかっていません。

7.まとめ

 池袋駅地下のチェリーロード脇に21番出口があります。駅周辺の多くの案内地図にも(21)という表記が見られます。しかし、チェリーロードに(21)という表示はなく、一般人通行禁止である旨記されています。地上側には歩道からよく見える場所に(21)と表示されていますが、もちろんこちらからも一般人通行禁止です。PARCO(昔の東京丸物百貨店)の出入口(写真5)と関係なく21番出口は存在していたようですが、いつから一般人通行禁止になったのか…謎です。

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さかてつでした…