1.はじめに
都営地下鉄浅草線人形町駅-東日本橋駅間に久松町交差点があります。地図を見ると、浅草線は交差点より奥の民有地を走っています。道路を外れると数多くの建物と干渉しそうですが、この経路は正しいのでしょうか?
2.久松町交差点に関して地図記載経路はほぼ正しい
今まで「地図の記載経路が正しくない例」ばかり取り上げてきたので、今回も正しくないのでは…と思いました。ところが建設史と現地調査の結果より、今回は「地図記載経路はほぼ正しい」ということがわかりました。またこの付近の建物は、巧みに浅草線トンネルをよけていることがわかりました。
浅草線の人形町駅-東日本橋駅間が開業したのは1962年9月です。写真1はその4年後の状況です。
建設史によると、浅草線は久松町交差点の西側を半径168m左曲線で通過しています。この区間に関して特別な工法を採用したという記載は無いので、一般的な開削工法ということになります。ただし、開業後4年経過しているためすでにトンネル上に建物が建っており、写真1だけから浅草線の経路を特定するのはむずかしくなっています。
写真2は最近の状況です。これに浅草線経路を重ねたものが写真3です。①~⑧は建物の番号です。これらの建物に関して、浅草線トンネルと干渉している/いないを確認していきます。
3.現地の状況
写真4は久松警察署です。久松町交差点の100mほど南西にあります。浅草線は写真左手前から正面に向かって半径168m左曲線で走っており、建物①(警察署車庫)の下を突き抜けています。
写真5は久松警察署の脇です。浅草線は建物①の下から建物②の下にもぐり込んでいます。
写真6は建物②ですが、いかにも1960年代という感じです。周囲の建物に比べるとその古さが目立ちます。この建物②は、建物①と共に写真1に写っています。
浅草線は私の足元から奥に向かって走っています。
写真7中央に見えるのは建物③です。壁面の角が直角ではなく鋭角になっており、見た瞬間に「おおっ! 浅草線トンネルの方向だ!」と思いました。建設史と照合するとやはりその通りであることがわかりました。
写真左端にちらりと写っているのは建物④ですが、建物③からの距離を考えると、浅草線トンネルは建物④の下に食い込んでいることになります。貸しビルのサイトでこの建物④について調べたところ、なんと建物④の写真7に写っている範囲には柱が無いことがわかりました。柱とその基礎が浅草線トンネルと干渉しないようになっていたのです。
写真8は、建物③と建物④の間から、すなわち浅草線トンネルの真上から建物⑥と建物⑦を見たところです。建物⑥は4階床、建物⑦は5階床で、いずれも浅草線トンネルの上に建っています。
写真9は、清洲橋通から見た浅草線の真上の状況です。写真左には建物⑤、奥には建物③(写真7)が見えます。いずれも浅草線トンネルのすぐ脇に建っています。それに対して建物⑦とその右に見える建物は浅草線トンネルの真上に建っています。
写真10を見ると、浅草線がどこを走っているかよくわかります。建物⑦とその右手前の建物群が低くなっていますが、浅草線はここを走っています。
写真左に見える建物⑤は、浅草線トンネルと干渉していません。それに対して建物④は「大きな長方形に小さな長方形が付加された」平面形で、小さな長方形付加部(建物⑦の奥に見える方の建物④)の地下を浅草線トンネルが突き抜けています。写真7で説明した通り、小さな長方形付加部の浅草線トンネル貫通部には柱がありません。
写真右に見える建物⑧に関してですが、建設史に基づき経路を記入したところ(写真3)、浅草線トンネルとわずかに干渉してしまいます。ふと思って建物⑧の間取りを貸しビルサイトで確認したところ、写真10に写っている範囲の左半分は非常階段であり、柱が浅草線トンネルと干渉しない位置になっていました。建物④と建物⑧は、実にうまくトンネルを避けて建築されているんですね。
4.まとめ
久松町交差点に関しては浅草線は交差点から少し入った民有地の地下を走っており、その経路に関して地図記載内容は比較的正しいことがわかりました。この交差点付近の建物は、巧みに浅草線トンネルをよけています。
以上
ちかてつの
さかてつでした…
【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。