国鉄10系気動車登場前夜

国鉄キハ10形

 昔、日本国有鉄道に「10系気動車」と呼ばれる車両たちが存在しました。もちろんこれは通称で、正式に「系」という表現が用いられたわけではありません。鉄道好きの人たちが、キハ17形、キハ10形などの一群をこのように称していたわけです。「キハ10系」「17系気動車」「キハ17系」…いろいろな呼び方がありますが、どれでもよいと思います。キロハも存在したのでキハ○○系では変な気もしますが…

 この10系気動車が登場したのは1953年(昭和28年)です。では、そこに至るまでどんな状況だったのか…というのが今回のお話です。

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 従来…といっても戦前の話…の気動車は機械式(歯車式)の変速機を用いていました。まず変速機を大きな減速比に設定してから半クラッチで機関と負荷側を接続して起動。速度が上昇してきたらいったんクラッチを切って減速比が少し大きな段に切換え、機関回転数を調整しながらクラッチ接続して再加速…という操作が必要でした。複数車両を連結して走る場合には各車両の乗務員がブザーで合図しながら切換え操作をしていたのです。しかし、3両、4両と連結すると両数分だけ乗務員が必要になりますし、切換えるたびにぎくしゃくして乗り心地もよくありません。実用上、2両編成が限界だったようです。

 国鉄(当時は鉄道省)では総括制御できる車両を実現するため、1936年(昭和11年)から液体変速機をキハ41000形ガソリン動車に搭載して試験を開始しました。同時にディーゼル機関の開発も進めていましたが、いずれも戦争のためそれどころではなくなってしまいました。

 戦後、復興による輸送量増大に対応するため総括制御可能な気動車の投入が望まれていました。戦乱で行方不明になっていた液体変速機が見つかり、さらにディーゼル機関も完成しました。1951年(昭和26年)にはキハ42500形で現車試験が開始されています。ところが各種問題が発生して実用化が難航。その状況を知った国鉄上層部からは総括制御可能な気動車を早く登場させよ!と強い命令が下ります。そこで、国鉄の技術者たちはとりあえず簡易な構造の「電気式」気動車を製造することにしました。電気式とは機関に発電機を接続して発電し、それにより電動機を回転させるという方式です。ただし、液体変速機の代わりに発電機や電動機という「鉄と銅の塊」が必要になるため、重くなります。また、液体式は高速域で直結運転するため伝達効率が高くなりますが、電気式は全速度域に渡って発電機と電動機が接続されているため高速域の伝達効率は液体式より低くなってしまいます。技術者たちは当然このことはわかっていたはずで、文献には「電気式を実用化させようとは思っていなかった」と記されています。ともあれ、輸送現場における強い需要に応える意味で、1952~1953年にかけて千葉地区にキハ44000形15両、北九州地区にキハ44100形10両とキハ44200形(中間車)5両、合計30両が投入されました。電気式に関してもう少々記すと、キハ44000形は計画時33tだった自重が完成時34.6tになっています。あまりまじめに検討していなかったことを思わせますが、上記のような経緯があると知ればその理由もわかります。

 本命であった液体式気動車は予定より遅れて1953年(昭和28年)に、キハ44500形4両が大宮地区に登場しました。その後、国鉄においてはキハ44500形(液体式)とキハ44000形(電気式)の比較も実施しています。液体式に対して電気式は重量面で約13%重く、製造費用は20%ほど高くなりました。後者に関しては電機メーカが電気品の価格を下げなかったという記述があります。平坦線における均衡速度は液体式95km/hに対して電気式80km/h程度に留まっていますが、技術者たちにとっては当然の結果という感覚だったことでしょう。30両登場した電気式気動車たちは、1956~1958年に全車両が液体式に改造されてしまいました。

 ところで昨今、電気式の方が主流になり始めていますが、軽量・高出力のディーゼル機関、高効率の駆動・回生装置、大容量の蓄電装置、などの技術が実用化されており、電気式と称しても1950年代とは技術的背景が大きく異なっていることを認識しておく必要があります。

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 以上が10系気動車登場前夜のお話で、キハ44500形を量産化した車両が10系気動車ということになります。その後1970年代後半に登場した通称40系気動車により10系気動車たちは置換えられていきました。この頃になると10系気動車は接客設備の悪さから乗客たちに嫌われるようになっていましたが、登場当時としては需要に合致した車両たちだったと言えるでしょう。

 さて、この10系気動車国鉄の線路上から消えたのちも地方私鉄に活躍の場を変えて結構走っていました。島原鉄道水島臨海鉄道鹿島臨海鉄道筑波鉄道茨城交通南部縦貫鉄道…、私が訪れたのは後半のみでしたが、「昔はこんな車両が旅客輸送を担っていたのか…」と思いながら撮影したものです。

 …ということで、現在、筑波鉄道を走っていたキハ820形(元国鉄キハ10形)の電子書籍を作成中です。国会図書館デジタルコレクションにより当時の文献を簡単に確認できるようになり、調査研究がずいぶん容易になりました。とてもありがたいことです。

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さかてつでした…