夕張鉄道キハ251(→関東鉄道キハ714→鹿島鉄道)の笛と側面

 写真1をご覧になって「なんだ、キハ710形じゃないか」と思われたかもしれません。確かによく似ているのですが、今回は夕張鉄道からやってきた車両で別物です。

 1953年、夕張鉄道にキハ250形キハ251が登場しました。上記の通り三井芦別鉄道キハ100形とよく似た車両です。この夕張鉄道は1974年に休止となりました。鉄道線は北海道炭礦鉱汽船に譲渡されましたが翌年廃止となったため、車両たちは働き場を失いました。

写真1 キハ714

 夕張鉄道の車両たちは各地の鉄道に引取られていきましたが、キハ251は関東鉄道に引取られ、1976年に関東鉄道キハ714形キハ714として再登場しました。なんとも半端な形式ですが、三井芦別鉄道からやってきた車両たちがキハ710形キハ711~713を名乗っていたので、それに続けたわけです。関東鉄道鉾田線は1979年に鹿島鉄道に分離されましたが、キハ714は鹿島鉄道廃止まで走り続け、その後は現在に至るまで静態保存されています。今年満70歳ということになりますね。

写真2 夕張鉄道キハ251(合成写真)

写真3 キハ714

 夕張鉄道気動車はおでこに笛が取付けられていました。ただし資料を調べてみると、キハ251は新製されてから少なくとも1954年までおでこに笛はありませんでした。その後おでこに移設されたわけですが、アメリカのディーゼル機関車の真似をしたのでしょうか。

図4 笛断面図

 図4は国会図書館デジタルコレクション『略圖のガソリン動車』(著作権保護期限満了済)に掲載されている笛の断面図に私が追記したものです。

 おでこに切開手術した跡はないので、笛をいったん分解して音道だけを車体外部から取付けたのでしょう。吹鳴時は青↑印の経路で空気が流れますが、雪などの吹き込み防止のため、笛前面には丸い網が取付けられていました。このあたりは三井芦別鉄道キハ100形と同様です。しかし、そんな面倒な構造にするぐらいならおでこに取付けず、素直に床下艤装にしておけばよかったのに…と思います。雪とはほとんど縁がない関東鉄道に来てから笛は床下に移設されました。

 前照灯は3つあり、下部の2つ(補助灯)は尾灯としても機能していましたが、こちらも一般的構造に改造されました。前照灯3つというのはドイツやスイスの機関車を思わせます。

写真5 夕張鉄道キハ251(合成写真)

写真6 キハ714

 夕張鉄道時代、乗務員室扉は木製で、写真5のように運転台側は扉がなく窓でした。雨どいもなく、客室扉と乗務員室上部のみ水切りがありました。このあたり、降雨時のことはあまり重視していないという点で三井芦別鉄道キハ100形となんとなく似ているように思います。

 乗務員室窓は1980年の車体更新時、扉になりました。木製だった乗務員室扉は新しいものに交換され、雨どいと雨どい管も取付けらていますが、これも車体更新時と思われます。

 半自動扉になったのは1976年ですから、それ以前は手動扉ということになります。夕張鉄道時代に戸閉め車側灯がなかったことと符合します。当時、手動扉はそんなに珍しいものではありませんでした。

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さかてつでした…