丸ノ内線天沼陸橋交差点付近

f:id:me38a:20191012221223j:plain

写真1 天沼陸橋交差点付近(1963年撮影)

f:id:me38a:20191012221316j:plain

写真2 天沼陸橋交差点付近(2009年撮影)

 丸ノ内線四ツ谷駅から先、素直に道路の真下を走っていますが、終点の荻窪駅近くに2か所、「ひょっとすると民有地にトンネルが食い込んでいるかもしれない」という場所があります。ただし建設史を見ても詳細は分からず、この記事においては疑問を呈するだけとなっておりますので、あしからずご了解ください。

 さて、丸ノ内線(建設時は荻窪線)は青梅街道の下を走り、天沼陸橋交差点で旧道に半径230m左曲線で入っていきますが、旧道に入るとすぐに半径1000m右曲線で方向を修正します(写真1)。そして、この先荻窪駅まで旧道の下を走っています。冒頭の「民有地にトンネルが食い込んでいるかもしれない」の1か所目は、写真2黄〇印です。ここには第4野村ビルと第5野村ビルがあります。

f:id:me38a:20191012221336j:plain

写真3 天沼陸橋交差点付近換気口

f:id:me38a:20191012221350j:plain

写真4 第5野村ビルと第4野村ビル

 天沼陸橋交差点の青梅街道北側歩道には換気口(写真3)があります。丸ノ内線が走っている証です。旧道が分岐するところには第5野村ビル(写真4中の5)と第4野村ビル(写真4中の4)があります。

f:id:me38a:20191012221410j:plain

写真5 第5野村ビル(荻窪小劇場)

f:id:me38a:20191012221426j:plain

写真6 第4野村ビル

 第5野村ビル(写真5)は、1階の荻窪小劇場入口部だけが突出しています。第4野村ビル(写真6)は、らせん階段だけが突出しています。1963年撮影の航空写真(写真1)と比較すると、これらの突出部は当時道路だったようにも見えます。ひょっとするとこれらの部分は丸ノ内線トンネルの真上なのかもしれません。確証は何もありませんが、気になるところです。

【参考資料】
 1.帝都高速度交通営団編「東京地下鉄道荻窪線建設史」帝都高速度交通営団(昭和42年)
  P.18先「別図 荻窪線線路平面図および縦断面図」
  P.140先「図2 新宿・荻窪間平面図および縦断面図」

 2.東京地下鉄編「東京メトロ建設と開業の歴史」実業之日本社(2014年)

【注記】
 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」でダウンロード可能な空中写真は、出典の明示を行なえば利用可能(申請不要)です。編集・加工等をした場合はその旨記載が必要です。写真1~2は国土地理院写真データ(MKT636-C7-7、CKT20092-C71-13)を基に私が編集・加工したものです。