【新宿区と文京区の境目】地蔵通の子育地蔵尊

 新宿区と文京区の境目というと神田川…と思うものですが、江戸川橋付近は区境が神田川から外れています。このうねうねとした区境をたどってみます。

1.空中写真

 まず、現地の空中写真からです。

写真1 2019年撮影

 神田川江戸川橋が掛かっていて、そこから南に江戸川橋通が伸びています。その途中に地蔵通があります。地蔵通の入口には子育地蔵尊(①)があります。

 

写真2 1947年撮影

 写真2は終戦間もない頃の空中写真です。街の骨格は現在と変わりありません。

 

【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の写真データを著者が編集・加工したものです。

2.現地の状況

写真3 地蔵通

 江戸川橋通の西側歩道から地蔵通を見たところです。写真3の左側に見えるのが子育地蔵尊(①)です。

 

写真4 住居表示板

写真5 子育地蔵尊

 写真4よりわかる通り、子育地蔵尊は文京区です。わざわざ柱を立ててそれに住居表示板を取付けてあるのは、「建物に取付けるのはお地蔵様に失礼だ」という心からでしょうか。区境は子育地蔵尊(写真5)の前を通っています。私が立っているところは新宿区です。

写真6 子育地蔵尊の前

写真7 境界標と側溝のふた

 写真7は、写真6の手前に写っている境界標と側溝のふたを拡大したものです。境界標には新宿区の文字、側溝のふたには文京区の紋章が記されています。境界標のあるところは新宿区で間違いないと思います。ただし側溝に関しては「新宿区の範囲も含めて地蔵通全体を文京区が整備」した可能性があるため、実はここも新宿区かもしれません。

写真8 公共基準点

 その一方で、写真6の看板を通して子育地蔵尊の前に公共基準点(写真8)が見えます。この基準点には文京区と明記されており、この場所は文京区であると考えてよさそうです。区境は地蔵通の中央線付近なのかもしれません。

 

写真9 子育地蔵尊(5年前)

 写真8の公共基準点、ずいぶんきれいだなと思って昔の写真(写真9)と比較したら、5年前にはありませんでした。

 この子育地蔵尊は、明治の初めにどこからか流れてきてここに留まったとのことです。実はこの場所、神田川の支流である蟹川のさらに支流沿いになります。ここからしばらくはこの支流跡が区境になっています。

 

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さかてつでした…