筑波鉄道キクハ10形と小田急クハ1650形

 昔、筑波鉄道にはキクハ10形キクハ11という車両が在籍していました。1957年に常総筑波鉄道ホハ1000形ホハ1001(客車扱い)として新製され、翌年キサハ53形キサハ53(気動付随車)と名前を変えました。その名の通り機関を搭載しておらず、他の気動車に引っ張られて常総線を走っていました。

 1960年、ディーゼル機関を搭載して総括制御できるように改造され、キハ510形キハ511(気動車)と名前を変えましたが、搭載した機関がバス用のものだったために10年もすると補修部品が供給されなくなりました。仕方ないので1970年に機関を降ろし、キクハ10形キクハ11(気動制御車)として再び他の気動車に引っ張ってもらう生活に戻りました。

 そのうち活躍場所も常総線から筑波線に変わり、鉄道名も筑波鉄道になり…だんだん出番が減って昼寝をしていることが増え、1986年に廃車、翌年解体となりました。

 …ここまでは前置きです。

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写真1 筑波鉄道キクハ10形

 そもそもこのキクハ10形、生まれた時は客車扱いだったくせにすでに半流線形の車体でした。キハ510形に改造する際に乗務員室を設け、乗務員室扉や前照灯こそ取付けましたが、前頭部の形状は変わっていません。最初から気動車に仕立て上げるつもりだったようです。

 ところで、この車両が生まれたのは1957年です。しかし、どう見ても1950年頃の雰囲気で、「生まれた時からオジサン」という感じです。実は、この車両にそっくりの先輩オジサンたちがいました。小田急電鉄クハ1650形です。不思議な縁で、クハ1650形は年を取ってから関東鉄道常総線に再就職して、キクハ1形として働き始めました。

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写真2 関東鉄道キクハ1形

 さて、写真2がキクハ1形(小田急電鉄クハ1650形を改造)です。客室扉の数は異なりますし、扉下部に踏段があるかないかも異なります。そのため少なからず印象は異なりますが、キクハ10形の車体寸法をクハ1650形と比較すると、おもしろいことに気づきます。

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表3 車体寸法比較表

 表3をご覧ください。赤文字で書いた項目以外、物の見事に一致しています。つまり、構体(車体の骨組)の基本はほぼ同じということなのです。ちなみにメーカはいずれも日本車輌製造東京支店です。1952年に製造された小田急電鉄クハ1650形の図面を基にホハ1000形(→キクハ10形)を設計した可能性がありそうです。

 キクハ10形は1987年に解体されましたが、屋根構えの垂木に小田急と記されていた…という写真入りブログ記事もあります。メーカにおける製造時に「小田急と同じ形状だよ」という意味で記した可能性も否定はできませんが、いつだれがどのような意図でこの3文字を記したかは不明です。

 しかし…そもそもなぜ時代遅れともいえる設計でホハ1000形(→キクハ10形)を新製したのか、意図がわかりません。クハ1650形の一部が注文流れになったために台枠や部品を流用したという説もあるようですが、もっとスマートな車両がすでに常総筑波鉄道には登場していたのに、その半年後にこのような「生まれた時からオジサン」の車両を投入した理由がはっきりしないのです。スマートな車両を投入して資金がなくなって、それでも車両を増備したかったので「オジサンでもいいや…」ということにしたのでしょうか?

 クハ1650形とホハ1000形(→キクハ10形)は他人の空似ではなさそうですが、その経緯を物語る資料は今のところ見つかっていません。謎です。

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ちかてつ
さかてつでした…