1.はじめに
昔のスライドファイルを整理していたら、題記の車両の写真が出てきました。「小田急電鉄デハ500形跨座式電動客車」と記すと「何それ?」という感じですが、「向ヶ丘遊園に行っていたモノレール」のことです。
モノレールは20世紀最後の年に壊れて運休となり、そのまま21世紀最初の年に廃止になりました。さらにその翌年、向ヶ丘遊園も消えてしまいました。
2.小田急デハ500形
この電車、ごらんの通りなかなか変わった形をしています。日本ロッキードの跨座式モノレール試作車を小田急が1966年(昭和41年)に譲受したものです。跨座式モノレールといってもロッキード式で、日本国内ではこのほかに姫路市営モノレールが存在したにすぎません。
以下は、形式図集(車両竣工図)に記載されている諸元です。どこまで信じてよいかわからない項目がありますし、試作車として製造されたのは1962年という説もあります。この試作車は、川崎航空機岐阜製作所内に建設された約1kmの線路(半径34m区間もあり)で試験を実施していたそうです。
製造所 日本ロッキード
定員 120人(座席46人 立席74人)
自重 16.2t
台車形式 623形(川車)
電気方式 直流600V
容量
1時間定格出力 300kW
1時間定格引張力 2060kg
1時間定格速度 40km/h
電動機形式 1454-BL
電動機個数 4
歯車比 1:5.125
制御方式 総括制御
制御装置 電動カム軸式
ブレーキ装置 HSC形、空気式軌条制圧式、バネ式
製造初年 昭和41年
備考 日本ロッキード試作車譲受
竣工図から、走行輪(駆動輪)は直径φ610であることが読み取れます。
3.桁構造
ロッキード式モノレールの特徴は「鉄レールの上を鉄車輪で走行」することです。写真6を見ると桁の構造がよくわかります。幅580mm×高さ1400mmのコンクリート桁の上に50kgTレール(東海道新幹線用50kgレールで高さ160mm)を取り付けてあります。この上に走行輪が載り、レール頭部左右を安定輪がはさみます。さらにコンクリート桁の下部には22kgレールが取付けられており、下部安定輪により車両の傾きを抑えます。
車両への電力供給は、第三軌条(レール)を用いています。写真6の側には写っていませんが、写真9および写真10には第三軌条が写っています。コンクリート桁上部の50kgTレールが第一、下部両側の22kgレールが第二と第三だとすると、電力を供給するのは「第四軌条」ではないかと言いたくなりますが…。
コンクリート桁の片側にしか第三軌条が無いということは、一般的な鉄道と同様にその他のレールを接地側として使っているわけです。
なお、車止めの形状も変わっています。車両下部左右に角のような棒(たぶんバッファ)が突き出ており、過走した場合はこの棒が車止めの黒●形の部位(写真6)にぶつかるようになっています。
4.駅風景
写真7および写真8は、小田原線の駅前にあったモノレール駅です。本記事写真1~12の撮影日は1993年5月4日ですが、かなりの人出です。モノレールの営業キロ数はわずか1.1kmなので順番待ちするぐらいなら歩いた方が早いと思いますが、みなさんモノレールに乗りたかったんでしょうね。
写真9は、奥が小田原線の向ヶ丘遊園駅になります。桁側面の第三軌条がよく見えます。
写真10は、モノレールの桁がある街風景です。いきなり空中に電車が姿を現すわけですから、何とも不思議な光景です。
向ヶ丘遊園の正門前も大混雑です。
5.ロッキード
ロッキードとは航空機メーカです。写真13は、ロッキードのL-1011(トライスター)です。ロールスロイス製の3軸エンジンは独特の音を発し、目をつぶっていてもL-1011とわかったものです。ちなみに、ロッキードが製造したジェット旅客機はL-1011のみ。250機の製造で終わっています。
ところでこのメーカは、飛行機だけでなく地上の高速交通機関にも手を出していました。それが今回紹介したロッキード式モノレールで、川崎航空機がロッキードからライセンスを取り製造したものです。
ちなみにゴムタイヤではなく鉄車輪にしたのは、下記(1)~(5)の意図があったそうです。
(1)走行抵抗を小さくする
(2)負担できる荷重を大きくする
(3)高速におけるタイヤの過熱を無くす
(4)天候変化に伴う粘着係数(摩擦係数)の変化を小さくする
(5)車輪径を小さくできるので床面を平らにできる
6.まとめ
昔小田急に、ロッキード式モノレールが走っていました。もともと地上を走る高速交通機関として開発されたものでしたが、20世紀の終わりと共に幕を閉じました。
以上
ちかてつの
さかてつでした…