1.はじめに
郊外の河原に延びる砂利線(砂利取り線)は特に珍しくありませんでしたが、地下鉄の駅から砂利線が伸びていたという話があります。地下鉄駅の砂利線とはどのようなものだったのでしょうか?
2.都営・京成押上駅から伸びていた砂利線
篠原力著「今だから話せる都営地下鉄の秘密」という本を参照すると、都営・京成押上駅(地下駅)から写真1のように砂利線が伸びていた旨記載されています。駅そのものが地下なので、砂利線も地下で分岐して隧道(トンネル)で駅から離れ、地上に開口していました。
写真2は砂利ホッパー部を拡大したものです。ホッパーは7つに区分され、その右側には砂利線の開口部があります。上記の本によると、夜中、貨車に砂利を積み込んで保線に使っていたそうです。ホッパーの左側は東武の業平橋駅ですから、伊勢崎線で運んできた砂利をホッパーに投入し、その下(地下)に停めた京成の貨車に砂利を載せ替えていたのでしょう。
ちなみに東武と京成は軌間が異なりますので(それぞれ1067mmと1435mm)、線路を接続して車両を直通させることはできません。
それでは現在どうなっているかというと、写真3および写真4の通り、砂利ホッパーはありません。しかし、よく見るとホッパーの跡はふたをされて何やら機器が設置されているようです。
3.現地の状況
上記の本および浅草線建設史を参照すると、1番線から曳舟方面に向かって砂利線が伸びていたことがわかります。押上駅1番線は写真5のように壁が反っています。その先は写真6に示したように、いわくありげにふさがれています。
もし、石本祐吉著「京成赤電ものがたり」という本をお持ちでしたら、P.17の写真をご覧ください。押上駅1番線から砂利線が分岐する様子がわかります。ちなみに砂利線は電化されていません。ごく短い距離ではありますが、非電化の地下鉄路線だったわけですね。
写真4の砂利ホッパー跡北端には「白い四角に黒丸がふたつ」の機器が設置されていましたが、それが写真7の右側に見えるものです。空調装置の室外機と思われます。
写真8は、砂利ホッパー跡の北に残る建築物です。ホッパーが存在していた頃(写真2)もホッパーの北端から10m程度離れた所に存在していたことが確認できます。ホッパーそのものではなく付属設備のように思われますが、詳細不明です。
余談ですが、この周囲は駐車場になっています。管理会社は京成不動産です。
写真9は、駐輪場から砂利ホッパー跡を見たところです。写真左側に見える空調装置室外機は、写真7と同一のものです。この室外機から写真右手の通風塔までがホッパーの跡になります。ホッパーの脇には砂利線開口部がありましたが、現在はふたをされていて見えません。通風口はホッパー跡と開口部にまたがるように設置されています。
都営・京成押上駅は1988年に冷房化されているようですが、室外機と通風口はこの時に設置され、砂利線跡を冷媒管設置場所もしくは風道として使うようになったのではないかと思います。
写真10は、東京スカイツリータウンから見た駐輪場と砂利ホッパー跡です。写真左奥に空調装置室外機が、その右手前には通風塔が見えます。このあたりから砂利線は曲がり、都営・京成押上駅1番線に合流しています。
4.まとめ
都営・京成押上駅1番線から砂利線が分岐していました。東武伊勢崎線で運んできた砂利をホッパーで地下の京成の貨車に積み替えていたようです。現在では空調のために利用されています。
以上
ちかてつの
さかてつでした…
【注記】本ブログ中の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データを私が編集・加工したものです。