【地図好きの方へ】東京メトロ東西線南砂町駅が反対に曲がっている理由

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1.はじめに

 東京メトロ東西線東陽町駅の東まで永代通の下を走っています。この先には南砂町駅があり、南砂町駅を出ると東西線は地上に顔を出します。地上に顔を出すあたりは真東ではなく若干南に向かっていますので、東に向かいながら南砂町駅付近で「右に」曲がると考えるのが自然です。

 ところが…南砂町駅のプラットホームは東に向かいながら「左に」曲がっています。なぜこうなっているのでしょうか?

2.東西線南砂町駅付近でS字曲線を描いている

 現在の永代通は清砂大橋西詰交差点までです。しかし、東西線東陽町駅以東が着工された1966年時点では、永代通は日曹橋交差点を越えて200mほど東に進んだところで途切れていました。

 そのため、東西線は上記の永代通東端まで進んだのちに右に曲がり、その後さらに左に曲がって洲崎川の下にもぐり込むよう建設されました。原則通り、民有地の通過を可能な限り避けたのです。1969年、東西線東陽町駅から南砂町駅を通って西船橋駅まで開業しました。

 一方、長いこと日曹橋交差点の東約200m地点で途切れていた永代通は、なんと21世紀に入ってからその経路を南側に計画変更された上で全通しました。

 東西線トンネルが「永代通からいったん外れたのちにわざわざS字曲線で無理やり南砂町駅に入っているように見える」のは、永代通の経路変更が背景にあるわけです。東西線建設以前に永代通が現状経路で存在していれば、このあたりの東西線は右曲線だけになり、さらに南砂町駅付近は直線で建設されていたことでしょう。

3.日曹橋交差点から南砂町駅までの現地状況

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写真1 空中写真(1963年6月)

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写真2 空中写真(2017年8月)

 東西線は永代通(計画変更前)の下をまっすぐ東に進むよう建設されました(写真1)。永代通は途中で途切れますので、そこから先は半径203m右曲線と半径500m左曲線で洲崎川の下にもぐり込みます。

 その後、洲崎川は埋め立てられました。さらに永代通は経路を南に変更して延長されました。地上はこのように変化しましたが、東西線トンネルはもちろんそのままです。このような経緯を知らないと、なぜトンネルがS字曲線を描いているのか不思議に感じるようになってしまいました。

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写真3 日曹橋交差点

 日曹橋交差点の東で永代通はゆるく右に曲がっていますが、よく見ると計画変更前の永代通がまっすぐ奥に向かっていることがわかります(写真3)。東西線はこの計画変更前の永代通の下にまっすぐ入って行きます。

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写真4 日曹橋公園

 計画変更前の永代通の終端付近は日曹橋公園になっています(写真4)。このあたり、東西線トンネルはすでに半径203m右曲線を描き始めており、写真4の奥から左手前に走っています。現在の永代通は日曹橋公園の南側(写真左)を曲がりながら走っています。

 写真右側に6と記された建物(都営アパート)はのちほど登場しますので「都営アパート6棟の前を東西線が走っている」と覚えておいてください。

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写真5 解体中の建物

 日曹橋公園から南砂町駅方面を見ると、解体中の建物が見えます(写真5)。この建物の右側1/3程度は東西線トンネル(半径203m右曲線)の真上になります。現在南砂町駅は大規模な改良工事中であり、その関係でこの建物は解体されるようです。

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写真6 東西線トンネル真上の店舗

 2019年8月の時点では、東西線トンネル(半径203m右曲線)真上にはまだ店舗がありました(写真6)。現在は白い壁で囲まれて解体工事中です。東西線A線は写真6の左から右に向かって走っています。

 ちなみに、写真6いちばん左側の店舗(回転寿司)を左側から撮影した状態が写真5です。

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写真7 南砂町駅1番線ホーム

 南砂町駅の1番線ホーム(A線:西船橋方面)は左に曲がっています(写真7)。トンネル中心線の半径は500mで、洲崎川の中に建設されたためケーソン工法(巨大な角パイプの下を掘って河底に沈めて接続)を採用しています。

 竹橋駅も同様の工法で建設されていますが、竹橋駅はかなり歪んでいるのに対し、南砂町駅はあまり歪みがありません。開業が3年異なりますので、その間の技術進歩ということになります。

東京メトロ東西線竹橋駅にはなぜ歪みがあるのか】https://me38a.hatenablog.com/entry/2020/01/18/104608

 建設史を参照すると南砂町駅に関しては潜函(ケーソン)の沈下状況をはじめとしてこまごまと記載されており、竹橋駅における状況を繰り返すまいという技術者たちの努力が伝わってくるような気がします。 

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写真8 南砂町駅の真上

 南砂町駅とその周辺は、現在まさに工事現場です(写真8)。改良工事が完成すると東西線トンネル真上にもいろいろ建つでしょうから、S字曲線を描くトンネルの上を見通せるのも今のうちという気がします。

 写真8左奥には都営アパート6棟(写真4)が見えます。この建物の前あたりから東西線トンネルは半径203m右曲線になります。一方、写真8右に見えるかまぼこ屋根の建物は区立第三砂町中学校の体育館で、このあたりから東西線トンネルは半径500m左曲線になります。

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写真9 南砂町駅1番線ホーム

 写真8を見ていると左奥から大きくS字曲線を描きながら東西線の電車が南砂町駅に進入してくる様子が見えてきます。そして、写真8の地点で地下にもぐると…そこは南砂町駅のプラットホームです(写真9)。上記のような経緯を知っていると、この曲がり方も納得できますね。

4.まとめ 

 東京メトロ東西線南砂町駅付近でS字曲線を描いています。着工当時は永代通が日曹橋交差点からまっすぐ東に200mほど伸びていたからで、その先は洲崎川の下にもぐり込むためこのような線形になりました。

 のちに洲崎川は埋め立てられ、さらに永代通は日曹橋交差点から南に曲がるように計画変更されたため、現在見ると東西線トンネルは不自然なS字曲線を描いているように感じるわけです。

 さて、東西線南砂町駅の先で地上に顔を出すと西船橋駅までずっと高架線であり、「どこを走っているか」という疑問はもうありません。したがって、東西線に関しては今回を以って終わりとなります。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…

【注記】
写真1~2は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データ(MKT636-C9-26、CKT20176-C10-28)を私が編集・加工したものです。