お濠の中を走る東西線

1.はじめに

 「東京メトロ東西線のトンネルはどこにあるか」を連載しています。
 東西線は、都心付近…九段下交差点から大手町交差点までは、基本的に内堀通の下を走っています。しかし、曲線の関係でかなりの距離に渡ってお濠の中を走ることを強いられています。
 地図を見ると上記のような特徴はある程度示されていますが、曲線に不自然さが多くみられます。

2.皇居付近の経路

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写真1 着工前の空中写真(1963年6月)

 東西線九段下駅から竹橋駅まで(建設キロ数1.0km)は、1963年(昭和38年)7月着工、1966年(昭和41年)3月開業です。その先、竹橋駅から大手町駅まで(建設キロ数0.7km)は、1964年(昭和39年)3月着工、1966年(昭和41年)10月開業です。
 国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」で東西線建設期間中の写真を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。着工直前、1963年6月撮影の写真(写真1)を掲載してありますが、当然のことながら東西線の工事現場は見当たらず、地図上からその経路を知ることはできません。

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写真2 近年の空中写真(2017年8月)

 開業後約半世紀以上経過した近年の空中写真(写真2)を見ても、今度は建設後の時間が経過しすぎているために東西線の経路はわかりません。そこで、東西線建設史と現地調査状況より判明した東西線トンネルの経路を、青い点線黄色の点線で写真2に示してあります。青い点線区間は陸地であり、一般的な開削工法で建設されています。一方、お濠の中を走る区間(黄色の点線)はケーソン工法で建設されました。ケーソン工法とは、あらかじめ角パイプ状の巨大な箱を構築し、角パイプの切口に蓋をしたまま水中に沈めて接続するという方法です。角パイプ接続後に切口の蓋を撤去すれば、角パイプどうしがつながり、その中がトンネルになるというわけです。
 なお、写真2中のR203という表記は曲線半径を、87~91の数字は換気口のNo.を示しています。

3.清水濠の中にもぐり込んでいく東西線

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写真3 九段下交差点からの風景

 九段下交差点付近(写真3)において、東西線は内堀通の真下を走っています。写真3の奥の方で内堀通は左に曲がっていますが、東西線トンネルも半径203m左曲線で曲がっています。内堀通の右側には、九段会館の建物がちらりと見えます。九段会館は外壁のみ利用して建替え中です。

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写真4 清水濠

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写真5 No.87換気口

 内堀通を進むと、清水濠が見えてきます(写真4)。さらに進むと、歩道にNo.87換気口があります(写真5)。No.87換気口付近から東西線トンネルは半径203.2m右曲線で清水濠の中に入って行きます。

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写真6 東西線トンネル真上の風景

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写真7 東西線トンネル真上の風景

 東西線トンネルは清水濠の中を進みます(写真6および写真7)。このあたりはケーソン工法で建設されています。地下鉄トンネルの存在は全くわかりません。大きな河川を横切る際には「○○線構築物河底通過標識」が設置されるものですが、皇居のお濠に関しては適用されないようです。

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写真8 東西線トンネル真上の風景

 首都高速道路の真下で振り返って清水濠を見ても(写真8)、東西線トンネル真上であることは全くわかりません。

4.まとめ

 九段下駅から東西線は内堀通の下を走りますが、途中から清水濠の中にもぐり込みます。そうと知らないと、東西線トンネルがお濠の中を走っていることは全くわかりません。
 地図に正確な経路が記述されていない理由としては「地下鉄は道路の下を走るもの」という思い込みがあるように感じられますが、電車が水の下を走っているように記述すると地図利用者に不安感を与える…という理由があるのかもしれません。

f:id:me38a:20191022195213j:plain以上
ちかてつ
さかてつでした…

【注記】
写真1~2は、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」よりダウンロードした写真データ(MKT636-C7-19、CKT20176-C15-22)を私が編集・加工したものです。