福島交通モハ1202

モハ1201~1203に関して資料1~3の記載内容をまとめると下記のようになります。このほか、主電動機は次々に交換されていたようです。
 (1)昭和17年(1942年):福島-飯坂温泉間が地方鉄道として開業。同時に、並行していた軌道線(併用軌道)廃止。
 (2)昭和17年(1942年):軌道線用1~3の台車と主電動機を流用して木造新製車体(全長10800mm)に取付け、鉄道線1~3として製造。
 (3)昭和24年(1949年):1~3を101~103と改番。
 (4)昭和30年(1955年):101~103を鋼体化(全長15840mmに大型化)。この際、総括制御化と共に戸閉装置を取付け、台車も交換。
 (5)昭和31年(1956年):101~103を1201~1203に改番。
 (6)昭和41年(1966年):前照灯2灯化

一般的に1201~1203は昭和30年(1955年)製ということになっていますが、上記より昭和17年(1942年)製となります。今回ご紹介するのはこのうちのモハ1202です。ちなみに車体下部には昭和17年という銘板(写真6参照)が取付けられています。

 

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写真1 東側面(1982年)

1000mmという幅の広い窓が印象的です。ただし乗務員室扉はありません。屋根上の通風器はかさ上げされています。多少雪が積もっても通風機能が低下しないように配慮しているものと推定されます。

 

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写真2~3 東側面(1984年)

こちら側の床下には主開閉器、母線開閉器、接地開閉器、主制御器、逆転器、主抵抗器など、主として電気関係の機器が艤装されています。

 

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  写真4~5 南妻面(1985年)

車体の年代に対して2灯化されている点がアンバランスで、そこが魅力になっています。西側には空気管(元空気溜管とブレーキ管)が取付けられていますが、連結器の下で交差させていません。国鉄気動車等を見慣れていると違和感がありますが、車両の向きは一定ですから問題ないわけです。東側には制御回路用ジャンパ連結器が設けられています。この構造で篏合が緩まないのかと心配になりますが、まあ大丈夫なのでしょう。

 

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写真6~7 東床下(1985年)

昭和17年という銘板が見えます。台枠横梁にはリベットが使用されていて、昭和30年(1955年)という製造年の割には古さを感じます。資料によっては「昭和30年に車体新造」という記述が見受けられるのですが、昭和17年製車体(台枠)の部材をかなり流用しているのではないかと推測します。

ところですでにお気づきかもしれませんが、この車両は雨宮のH2という珍しい台車を履いています。資料1に京成のものであった旨記載されていたので調べてみると、次のようなことがわかりました。
 (a)1927年:モハ45形45~48新造(木造車)。
 (b)1947年:高砂車庫火災で46が焼失。同車のH2台車は銚子電鉄モハ201に流用。
 (c)1947~1948年:45、47、48が京成から新京成に転出。当時京成は1372mm軌間新京成は1067mm軌間だったため、H2台車を1067mm用に改軌。
 (d)1953年:新京成は京成に合わせて1372mmに改軌。今度はH2台車の改軌をせずにブリルの台車に交換。

この後H2台車が2年間どうなっていたか不明ですが、3両分の「1067mm用H2」のうち1両分が(4)の1955年鋼体化改造時に福島交通モハ1202に取り付けられているわけです。現車撮影時は知識不足でしたが、約35年ぶりに調べて上記のことがわかりました。

 

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写真8 北妻面(1985年)

こうして見ると、地方私鉄らしいかわいらしさがあります。資料7には1960年代の写真が掲載されていますが、前照灯は当初中央ひとつで、のちに左右に増設して一時的に三つ目になり、その後二つ目になったということがわかります。

 

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写真9~10 西側面(1984年)

こちら側の床下には元空気溜、補助空気溜、可溶器、ブレーキシリンダ、電動空気圧縮機、戸閉抵抗器など、主として空気関係の機器が艤装されています。戸閉抵抗器とは何だろうと思ったのですが、電動発電機が見当たらないことから、戸閉装置(ドアエンジン)電磁弁用電源として架線電圧750Vを分圧するためのものだろうと推定します。制御回路電源も気になるところですが、これも運転室あたりに抵抗器を搭載していたのではないでしょうか。今となっては確認することもできませんが…。

参考資料
 1.川上幸義「福島交通(鉄道線)」「私鉄車両めぐり特輯(第Ⅲ輯)」P.10~17 鉄道図書刊行会(昭和57年)
 2.瀬古龍雄「35年前の東北私鉄」「鉄道ピクトリアル1987年3月臨時増刊号」P.54~58 鉄道図書刊行会(昭和62年)
 3.松原淳「福島交通」「鉄道ピクトリアル1987年3月臨時増刊号」P.152~155 鉄道図書刊行会(昭和62年)
 4.「日本民営鉄道車両形式図集(上編)」鉄道図書刊行会(昭和51年)
 5.石本祐吉「京成青電ものがたり」ネコ・パブリッシング(2012年)
 6.石本祐吉「昭和時代の新京成電車」ネコ・パブリッシング(2013年)
 7.風間克美(ブログ)「地方私鉄1960年代の回想」