千代田線はどこを走っているか(その1-2) 北千住駅南半分

2.北千住駅南半分

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写真1 大東ビル

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写真2 伸縮継目

 北千住駅2番出口があるビルですが、そんな大きくないにもかかわらず伸縮継目(写真1,2)があります。継目があるところは2番出入口とマクドナルドの間です。伸縮継目左(東)側が千代田線の駅構造体に載っていて、右(西)は独立した基礎になっているものと推定されます。マクドナルド地下には銀座ライオンがあり2番出口階段から入れますが、この壁面にも伸縮継目があります。

 

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写真3 千路通り名称標

大東ビルの東側にある通りです。区政80周年記念で愛称が付けられたとのことで、名称標(写真3)を見ると「製造年月:平成27年2月」と記載があります。千住の線路沿いだからこのように命名したものと推定されますが、私には千代田線の「千」のような気もします。

 

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写真4 千路通り沿いの建物

千路通り沿いの連続した建物で、千代田線北千住駅の真上です。千代田線建設史のP.477~478にはこの付近に関する記載がありますが、戦後の混乱期に建築された店(間口1間半~2間)が民有地と公有地(道水路敷)にまたがっていて、地境の確認に困難を極めたそうです。開削工法の地下鉄建設後に建てられた共同ビルがまさにこの写真4だと思われます。

 

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写真5 北千住駅(1985年)

ふと思って昔の写真を探してみたら、30年以上前に北千住駅を撮影していました。写真4の建物が左端に写っていますが、千路通りはありません。建物の裏はすぐに駅の敷地だったようです。国土地理院の空中写真(航空写真)を確認すると、1950年代には建物の裏まで貨物駅が拡がっていたことがわかります。

千代田線建設史に出てきた「水路敷」という表現が気になったのですが、空中写真では判明しませんでした。駅周囲には排水用の水路を設けるものなので、そのことを指しているのかもしれません。

 

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写真6 ときわ通り(飲み屋横丁)

千路通り沿いの建物(写真4)の表は、有名な通りです。ご覧の通り混沌…という感じですが、これでも地下鉄建設でかなり「整然」となったそうです。

 

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写真7 千代田線真上の「連絡通路」

ときわ通りと千路通りの間、つまり千代田線真上には、この手の連絡通路が何か所もあります。足もとには十分ご注意ください。

参考資料
 1.東京地下鉄道千代田線建設史(昭和58年)
 2.足立区道路愛称名
 3.国土地理院空中写真